→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.11] ■■■ [526]筑紫と竺紫と竹斯 どうして違っているかについての関心のレベルは低くはなさそうだが、同じような話だらけ。 ・・・と毒づいた論調で書けば、この先はご想像がつくだろう。 そう、太安万侶流石!、となるのである。 「古事記」は実におかしな記述をしている。<筑紫>で統一すればよきものを、わざわざ<竺紫>も混ぜているからだ。 筑紫嶋 筑紫國 幸行筑紫 筑紫之岡田宮 筑紫三家連 筑紫訶志比宮/筑紫之訶志比宮 筑紫末羅縣 筑紫之末多君 竺紫日向之橘小門之"阿波岐"原 天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣 竺紫君石井 言うまでもないが、両者の文字上の関係は、略字とか元字の次元とは程遠く、竹冠で日本語の音を同じにしているだけに過ぎない。本来は全く無縁。 ≪筑≫ [元意味]竹曲箏類似形状五弦竹尺擊楽器 [呉音・漢音]チク [訓]づき/つく ≪竺≫ [元意味]厚[@「説文解字」](二=重 竹:音符) [主要用例]天竺國一名身毒 [=印度=Sindu(インダス河)][@「後漢書」西域傳] [呉音・漢音]チク トク [慣用音]ヂク [訓]あつ-し ≪紫≫ [呉音・漢音]シ [訓]むらさき ゆかり さい ここで、なんだ、そういうことかと気付かされることになる。もちろん、その感覚を嫌う人も少なくなかろうが。 要するに、"筑紫"の読みは呉音の"チクシ"。無理矢理に"筑"の訓読み"つく"を設定し、"つくシ"と訓-音で読ませることにしたということに。一方、"竺"は"チク"で"つく"とは読まない。訓なら、"あつむらさき"だ。 ところで、どうして、呉音の"チクシ"と呼ばれたかは自明。九州が"竹し国"だったので、その代表格を任ずる北九州の一国が自称したから。「隋書」国俀伝に明確に示されているように、それは<竹斯國>。(この書は唐の太宗期、逸書化しそうなので魏徴撰が編纂したもの。かなり手広く他の国史成立にも係わっていた学者だから、文字使用は吟味されていると見るべき。)<筑紫>とは朝廷が始めた好字変換と考えるのが自然だ。 明年 上遣文林郎裴C使於国俀 度百濟行至 竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至 一支國 又至 竹斯國 又東至 秦王國 其人同於華夏 以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀 中華大帝国の隋は、恣意的に、倭国を俀国と書いており、古代のママの手つかずの竹だらけの辺境というイメージを醸し出そうとしている可能性が強い。その風俗も、人庶多跣足だし、衣帬襦裳皆有襈 攕竹為梳 編草為薦ということ。王も初めて冠を付けるようになったほど、といった調子。余程、倭国使節の態度がお気に召さなかったということになる。(当時の帝国官僚は合理主義者だから倭国を朝貢国にして実利があれば十分だが、史書での扱いはそうはいかない。) その結果、朝廷の漢文を読めるような人々がこの記載を不愉快に思ったのは間違いあるまい。それでも、外交を取り繕ったのであるからたいしたもの。 そして、701年には、全面的に 「萬葉集」はこれに沿った"つくし"記載。・・・ [巻三#336]筑紫乃綿者 [巻四#556]筑紫船 [巻四#574]筑紫也何處 [巻五#794]筑紫國尓 [巻五#866]都久紫能君仁波 [巻六#967]筑紫乃子嶋 [巻六#971]筑紫尓至 [巻十二#3206]筑紫道之 [巻十二#3218]筑紫乃方乎 [巻十三#3333]盡之山之 [巻十四#3427]筑紫奈留 [巻十五#3634]筑紫道能 [巻二十#4331]筑紫道能 [巻二十#4340]豆久志奈流 [巻二十#4359]都久之閇尓 [巻二十#4372]都久志能佐伎尓 [巻二十#4374]都久之乃之麻乎 [巻二十#4422]都久之倍夜里弖 [巻二十#4428]都久志波夜利弖 つまり、"つくし"とは、竹を直接想起させる地名譚の封印でもあろう。 「筑後國風土記」逸文[@卜部兼方:「釈日本紀」(「日本書記」注釈書@鎌倉末期)] <筑後國號> 【二 公望案 筑後國風土記云】(筑後國者 本與筑前國合為一國) 昔此兩國之間山 有峻狹坂 往來之人 所駕鞍韉被磨盡 土人曰:鞍韉盡之坂 【三云】昔此堺上 有麤猛神 往來之人 半生半死 其數極多 因曰人命盡神 于時 筑紫君 肥君 等占之 令筑紫君等之祖甕依姬 為祝祭之 自爾以降 行路之人 不被神害 是以曰筑紫神 【四云】為葬其死者 伐此山木 造作棺輿 因玆 山木欲盡 因曰筑紫國 後分兩國 為前後 …果たして、この他に"竹し國"との記載はあったのだろうか。 太安万侶も、一官僚であるから、 大陸との常時交流拠点である、北部九州に一大勢力が生まれやすいのは当然の成り行きで、九州代表的なふるまいをしてもおかしくは無い。地域名としては"尽くし"だが、同時に九州="竹し"島の国でもあるというだけのこと。 と云うことで、もともとの音は 流石にリスクがあり過ぎで、ママ"竹"字は使わなかったが、読者たるインテリ層には、そうだネ〜、と感じさせる文字を使用したことになろう。漢字の知識が豊富でないと、こんな芸当はとてもできない。 稷維元子 帝何竺之 投之於冰上 鳥何燠之 何馮弓挾矢 殊能將之 既驚帝切激 何逢長之 [「楚辭」天問] [意味]周王朝の祖先たる后稷: 「自分はまごうかたなき帝の子だと云うに、 帝が毒[竺]のように扱うのはどうしてなのか? 氷上に投げ捨てられても、 鳥がそれを温めて護ってくれるのはどうしてなのか?・・・」 -----参考----- ≪竹≫ 【現代用語】 竹第等筋筒答箇節簿 笑笛符筆策算管箱範築篤簡籍 【古事記用語】 竹第等筋筒答箇節簿 <筑><笠><竺><箭><箸> <簀><篭><筌><筝> 【国字】 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |