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■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.19] ■■■
[534]蓮花登場の意義
日本では蓮葉の化石が発見されているし、大賀蓮の例もあるので、自生蓮が古代から存在していたことは確か。蓮根は食用かつ薬でもあったようである。[「常陸国風土記」沼尾池]
しかし、その一方で、仏僧が移入したとの伝承があり、根が大きく育つか種が素晴らしい実用種か、はたまた大きくて美しい色の花が咲く素晴らしき鑑賞種か、密教花蓮生宗的伝承栽培種を意味するのか、なんの情報も無い。

この蓮だが、天竺叙事詩の元であり、仏教では蓮華世界=西方極樂浄土観に引き継がれており、そのイメージは神聖と見なすことができよう。ところが、「古事記」で登場する場合は、色恋歌であり、趣がいささか異なるように見える。・・・
[歌95]【赤猪子…志都歌】日下江の 入り江の蓮(波知須) 花蓮(波那婆知須) 身の盛り人 乏(とも)しきろかも

蓮花の名所が存在したことになろうが、蓮のイメージが自明ではないので、訓訳しにくい歌である。
蓮華の表象としては、男女に起因する生命力こそが似つかわしく、恋沙汰を抑圧する儒教的清廉さとは相いれないことを示したかった、と見たが、当たっているとは限らない。太安万侶は仏僧から、大陸に於ける仏教抑圧の動きや後世のチベット密教のハシリの流れを耳にしていたと見てのこと。そうとでも考えないと、蓮登場の意味がわからないので。

上記は歌なので音素文字表記だが、地文では一切<蓮>文字は使っていない。と云うか、蓮そのものが全く登場してこない。蓮字はほぼ仏教用語だが、植物名表記としても定着しているので、倭の口誦叙事詩には不適と見たのかも。
一方、そのような気配りが全く不要な「萬葉集」ではママ<蓮>文字を用いている。・・・
  [巻十三#3289]御佩乎 劔池之 蓮葉尓
  [巻十六#3826]蓮葉者 如是許曽有物
  [巻十六#3835]勝間田之 池者我知 蓮無
  [巻十六#3837]久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓

それこそ、蓮茎での酒呑み行事があったことでもわかるが、中華帝国には蓮に関係する様々な民俗/政治的風習が存在してきた。そこには、今ではほとんど忘れ去られている、生命力や天女の散華感覚が宿っていたようだ。「古事記」所収の上記の歌はその息吹を伝えていると云えるのでは。(尚、日本で現存する、觀蓮節@六月二十四日は宋代の消夏納涼の流れをくむものらしい。社会風刺の名文で知られる、周敦頤[1017-1073年@宋代]:「愛蓮説」では蓮に清廉君子イメージを与えているそうだ。)

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