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■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.24] ■■■
[539]「一道」は仏教用語では
帯中日子天皇が神の怒りに触れて琴切れ崩御する印象的なシーンがある。・・・
   爾 其~大忿詔:
   「凡茲天下者
    汝非應知國
    汝者向一道」

この大神は、御名を知りたいとの申し出に対して、即時答詔。
   「是 天照大~之御心者
    亦 底筒男・中筒男・上筒男三柱大~者也」
割注があり、三柱大神の御名が顯示されたとある。

文脈から判断すれば、忿怒にかられた神の詔の意味は、こんなところになろうか。・・・
 「おおよそ、この天下というものは、
  汝が知らしめる国には当てはまらない。
  汝こそ、一直線に向かって行ってしまう者だ。」
細かくはともかく、崩御を命ずる詔を発したと見なすしかあるまい。

しかしながら、冷静に、この文章自体を読んで、そのように"意訳"するには、かなりの無理があることに気付かされる。
"向一道"の先が"あの世"と考える根拠が薄弱であるし、それを示唆する記述がある訳でもないからだ。

【一道】とは、文字通りには、一条に続く道路か、数を表わしていることになるが、そんな筈がないから、一種の漢語の熟語と見なすことになる。つまり、漢文用例を引いてきたと考えるしかあるまい。
ところが、漢籍に、あの世に一直線に向かうという記述例は無さそうなのだ。
「萬葉集」にしても、センスからして180°反対の恋歌の用例が1件あるのみ。
  [巻十一#2648]かにかくに 物は思はじ 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に

そうなると、この箇所は、「見捨てたから、勝手に我が道を行け!」という意味とせざるを得なくなる。
そうなると、神に崩御させられた感が失せてしまう。
いかにも収まりが悪い解釈となってしまうが、致し方なかろう。

しかし、それを解決する手が無い訳ではない。
死出の道のニュアンスに近い記載が漢籍に存在しているとの見方もできないこともないからだ。
但し、それは仏教用語。
しかも、ほとんんど基本語彙と見なせるレベルの言葉。「古事記」成立時点では、読者層にとっては常識のレベルだったと云うことか。
そして、そのような語彙を天照大~之御心表現に用いたところでなんの違和感も覚えない状況だったことにもなろう。
ここらの表記は太安万侶の仕掛けと見なすのが妥当だろう。

---漢籍用例---
利民豈一道哉? [「呂氏春秋」開春論愛類]
三聖相受 而 守一道 [「漢書」董仲舒傳]
夫豈不義 而 曾子言之?
是或一道也
天下有逹尊三: 爵一 齒一 徳一

[「孟子」公孫丑下]
故 樂
 在宗廟之中 君臣上下同聽之 則莫不和敬
  閨門之內 父子兄弟同聽之 則莫不和親
鄉里族長之中 長少同聽之   則莫不和順
故 樂者 審一以定和者也
比物以飾節者也 合奏以成文者也
足以率一道 足以治萬變 是先王立樂之術也
 [「荀子」卷第十四樂論篇第二十]
夫一道術學業仁義者 皆大以治人 小以任官 遠施周偏 近以脩身 不義不處 非理不行 務興天下之利 曲直周旋 利則止 此君子之道也 [「墨子」卷九非儒下]
【一道】(術語)一實之道也。
六十華嚴經六曰:「一切無礙人,一道出生死。」
八十華嚴經十三曰:「諸佛世尊,唯以一道,而得出離。」
涅槃經十三曰:「實諦者,一道清淨,無有二也。」
大日經疏十七曰:「一道者即是一切無礙人,共出生死,直至道場之道也。而言一者,此即如如之道,獨一法界,故言一也。」
涅槃經二十五曰:「一道者,謂大乘也。」
【一道法門】【一道神光】【一道無為心】
 [「佛學大辭典」1922年]

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