→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2022.7.4] ■■■
[549]農のコンセプトは受け入れ難し
天照大御神の詔では「豐葦原千秋長五百秋水穗國」が日本国を指す。
水穗=瑞穂で、これは稲の美称との解説を見かけるが、水は美辞ではないから、わざわざ水文字に替える特段の根拠は無い。稲と考えるなら、「古事記」筆記の特性から見て、陸稲ではなく、水稲という点にハイライトをあてていると見た方がよいと思う。美称と見なすなら、穂の方が当て字で、水が豊かな素晴らしい地との表現として読む方が正当な気がする。

秋を強く打ち出しているから、葦原中国は"五穀"豊穣の国であるとのイメージが被っていることは間違いないし、水田が一面に広がる国土との見方はその通りだが、太安万侶の記述は、日本は稲作の国であるとのイメージが浮かぶように構成されている訳ではない。
概してここらは淡泊と言わざるを得ない。

それどころか、「古事記」には<農>の文字が使われておらず、国家の土台が農業であることを示そうという気さえ無い。蜻蛉の羽の如くに水田が広がる地を作り上げたにもかかわらずだ。
ただ、農の字の元は、林地での除草作業(穀類栽培)を意味しており、倭の概念とは違うと見たのかも、と考えたりもした。
  ≪農[林+辰(石製除草器)+又(手) ⇒ 林削除 & 田追加]/䢉[=耕(人)]
   ("耕人"は新羅の用語として登場する。)
水が豊かで、葦原の広がる地に水田が生まれたというイメージとはおよそ異なる訳で。(葦は生活上不可欠な材でもある。新芽は食用にもなる。)

ところが、租税の話を書いていて、なんだそういうことかと自分なりに納得がいった。

ここらも中華帝国の思想とは、水と油であることを、どうしても書いておきたかったのだと思う。天子の国の基礎は農。自明で説明の要無し。そこには労働力は不可欠であり、この膨大な数の人民を宗族第一主義と軍事力でまとめあげることで、独裁体制を保つことができる訳だ。国土創成と人民創造が宇宙創成譚と結合して当然の社会と云えよう。
しかし、倭国にはヒト創成譚は無いし、宗族観念は受け入れがたい状況。国家であるから表面的には似ていて当たり前だが、すべての点で内実は対立的だった可能性が高い。「古事記」成立期に至っても、尚、農業に課する地税あるいは人頭税は実質的にできなかったのも、そこに由来すると見てよかろう。

 (C) 2022 RandDManagement.com  →HOME