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■■■ 「古事記」解釈 [2022.7.16] ■■■
[561]安万侶の独自文化観(2:系譜叙事詩)
(2)「万葉用字格」を参考にすると、「古事記」の本質も見えてくるような気になってくる。そこらについて。

本サイトではクドイほど書いてきたが、再度。・・・
「古事記」は国史と似ている記述があるということで、両者を威嚇するのは当然というのが一般社会常識とされているが、小生は百害あって一利なしの類と見る。

おそらく、対外的位置の朝廷の公式な歴史書と、皇室の私的ともいえる歴史書の違い程度にしか考えていないと、こうなるのだと思う。
この感覚だと、国史は漢文であり、いかにもインターナショナルな政治状況を踏まえての動きということになろう。それはその通りと云えなくもないが、優秀な高級官僚の作文であることを意味する訳なので、実際は視野は狭く、忖度だらけになっていると考えるべきもの。
一方の「古事記」だが、漢文読みは不可能だから、ドメスティックな発想でまとめられていると見なされることになろう。実際、外交には触れられていないし、仏教は影も形もないからだ。

太安万侶が第一級の知識人としたら、このような類似書をわざわざ喜んで編纂するとは考えにくかろう。そもそも同類な歴史書を続けざまに完成させるということ自体考えられぬこと。(唯一ありえそうなのは、中華帝国から国史作成を禁じられた場合の対処策。)

従って、上記の見解は表面的には正しいが、「古事記」の方がインターナショナルなセンスでまとめられていると見た方が正しいと思う。その切っ掛けとなったのが仏教である可能性が高かろう。
仏典のベースとなっているのは、もちろん天竺での釈尊譚だが、その話が通用するのは叙事詩が社会的に通用しているから。つまり、人格神のお話が社会の紐帯となっていることを如実に示している訳だ。
一方、中華帝国では、神話の世界話は儒教統治には邪魔な存在でしかなく、ほとんど意味なきものとして片付けられている。そうなると、本朝はどうなのかと考えるのが自然な態度といえよう。

おそらく、稗田阿礼との議論で、本朝ではどちらとも相性が悪そうという結論に到達したのでは。

先ず、どう見ても、全く異なるのが、神の時代と人の時代の切り分け。「古事記」はそこらを十分意識しており、上巻と中巻の間に仕切りを入れている。インターナショナルなセンスからすれば、神の時代と、ヒトの時代があり、両者が同居することは無いからだ。従って、ヒトの時代とは天皇即位を以て始まるとしているような体裁を整えているのだが、そのことがかえって神とヒトが峻別できず、両者混然の世界観を披歴することになっている。あっぱれな記述と言わざるを得まい。
ひょっとすると、このような世界観の社会は他にはない可能性もある訳で。

太安万侶は、稗田阿礼口述の「帝紀」を耳にして、そこらの特徴を十二分すぎるほどわかったのだろう。
本朝に於いての神話たる叙事詩の肝は神統譜であり、皇統譜はそれの続編であって、両者には切れ目がないのだ。このような係累伝承はどの国でも存在するものだが、あくまでも神話や王政譚に付随して作られるもので、メインである訳がないというのが常識だが、本朝では逆なのである。先ずは、系譜ありきで、その豊富化で様々な話が付加される形になる。
「古事記」はそのドグマを提示したと考えることもできよう。・・・
 ≪倭国の叙事詩の核は神統譜/皇統譜である。
 ≪ここに於いて、神々とヒトは時代を共有する。

このため、「古事記」は、メインストーリーがあって、そこにサブストーリーがちりばめられて全体観が形成されるような体裁になりようがない。唐突感だらけの構成になって当然だろう。

このことは、登場してくる神々等々の名前に極めて重要な意味があることを示唆している。どのような文字を当てるかで、その神の意義がはっきりしてしまうことになるからだ。神々の事績なくとも、名前を知ればイメージが浮かぶ社会が形成されていたことになる。
大陸とは違い、地勢も気候も箱庭的にフラグメント化しているから、土着の神々はほぼ自動的に古事記の神統譜と繋がる仕組みができていると云うことでもあろう。
換言すれば、絶対的な祖神が存在しえないことになる。ただ、系譜的に天皇の血脈は神統譜〜皇統譜上で一気通貫という状況だけが確認できるに過ぎない。
しかし、儒教社会の規範からすれば、禅譲の長子皇位継承からは程遠く、宗族第一主義からすれば禁忌の近親婚だらけであり、王朝としての体裁が全く整っていないとの評価になるだろう。
にもかかわらず、渡来してきた外交担当官は知的に優れていたので、中華官僚の評価はおそらく割れてしまい、結論は出ずじまいだったかも。

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