→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.7.30] ■■■ [575]一人称は2つの文字が必要 しかし、文字化せねばならぬとなれば、一人称表示が上手くできないと誤読だらけになりかねないから、難しい問題に直面しそうに思ってしまうが、実はたいしたことはない。 漢語の一人称は色々ありそうに思ってしまうが、ほぼ限られた2表記しか存在しないからだ。・・・ 我 or 吾 余/予…「古事記」非使用 朕…【皇帝用語】「古事記」序文(漢文)でのみ使用 臣…【姓用語】 仆/僕…【召使(謙譲表現)】 妾…【妻】 (卬 台)…春秋戦国代以前 鱼/魚…吾の代替文字 現代英語なら、"I"だけで必要十分だから、漢語も1つでよさそうに思うが(現代中国語は政治的に"我"のみにされたようだ。)、用法上どう違うのか定かではないものの、2つある。 倭語の息吹を残していそうな現代南島方言も、明らかに2つあると見られている。(現代日本語では人称代名詞自体の存在感が薄い上に、相対の関係性に対応して多様化が進んだままなので、幾つあるのかさえ、はっきり同定し難い。)明確な使い訳を示せない以上、解釈は今一歩説得力を欠くものの、文字構成を見れば差異が見えて来るので、それでよしとしておこう。 <我/𢦐[𠂌+戈]>…武装誇示的(社会での立ち位置) [呉音・漢音]ガ [訓]あ(接尾語-れ) わ(接尾語-れ/-ろ) [正訓] <吾[五/𠄡+口]>…祭祀・信仰的(自身心情) [呉音]グ [漢音]ゴ [訓]あ(接尾語-れ/-が) わ(接尾語-れ/-が) [正訓] ≪ 本来的には、なんらかの対立概念を包含する1人称だった筈だが、混淆してしまったので、ほぼ同等に扱われている。「古事記」では、文法的記述でも似たようなもの。 我者 吾者 我興兄 吾興汝 殺我 殺吾 我身者 吾身者 我之〇 ー 於我 於吾 おそらく、太安万侶としても、この2文字の違いには気にかかっていた筈だが、峻別している兆しが見てとれない。 ただ、歌でない地文でも、わざわざ、音素文字表記をしているから、ここらに注意を払うべきかもとのアドバイスかも。そうだとすれば、稗田阿礼のご指摘だろう。 赤猪在此山 故和禮<此二字以音>共追下者・・・ 倭語は、話し手と聴き手の環境与件に依存する、100%話語であり、叙事詩は現実の会話を加工したお話なので、この辺りはなかなか見えてこないが、直接話法と関節話法で用語が違っているということかも。・・・漢語の我 v.s. 吾のイメージ的違いとは一致しないが、倭語での違いを当てはめて、気分で読んで頂きたいと。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |