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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.2] ■■■
[578]「古事記」が示唆する倭語の特徴
太安万侶が倭語をどう見ていたのかは、「古事記」を読んだところで分かる訳もないが、インターナショナルなセンスは仏僧との交流で十二分に培われていたと考えると、以下のような大きな枠組みにかなり近い見方をしていたのでは。・・・
少なくとも全く異なる3本の言語≪天竺(サンスクリット)-震旦(漢語)-本朝(倭語)≫があることは知っていたからこそ「古事記」を完成させることができたのだから。
🀃🐎膠着語寒勁系シュメール(消滅@古メソポタミア)
     フィン・マジャール(ウラル大移動)
     トルコ-突厥(テュルク)
     蒙古 満州-朝鮮(ツングース)
🀂💎膠着語臨海系エラム(消滅@古ペルシア)
     タミル(ドラヴィダ)
     ビルマ-チベット マレー(@スンダ圏)
     日本/南島
    超膠着(抱合)語…アイヌ エスキモー
🀀👪孤立語(漢字音語系)…中国-越南-苗-泰
🀁🐘屈折語(インド・ヨーロッパ祖語系)…サンスクリット

一般に、上記のように膠着語群を北方ステップ系と、南方海人径の分けるようなことはしないが、「古事記」の記述からすれば黒潮系も本朝の一角を支えていると思わせるようになっており、言語的に異なるような印象もないから、そこらは一群と考えているとみてよかろう。

それに対して、朝鮮半島の扱いは全く異なる。漢語の国で、中華帝国文化や各種技術の受け渡し窓口となっていると云わんばかりの記載だからだ。賄賂にからきし弱い王族が配偶者に逃げられて追って来た話はあるが、好意的とは言い難い書き方。漢文を標準言語とするバイリンガルを支配層とする統治国であり、ツングース系の言語に関心を払うことは考えにくかろう。

そのような気分で、倭語の特徴を描いてみると、このようになるのでは。・・・

発声は"難しくならないように"というだけの、柔軟なルール。
尚、声調の記号を記載しているが、特定の発声を指摘しているのではなく、同音文字とは文法上違う用法であることを示すための記載ではないか。
〇音韻の揺らぎを容認。
  必要なら新しい音を適宜取り入れる。
    発音し易いように変化させる。
    但し、不要になれば捨てる。
  中華王朝毎の官語の半強制的標準化には倣わず。
〇音素の種類(50音的なもの。)は100を越える程度に限定。
  あくまでも母音語。
    独立子音・重子音なし。
  苦手な音(頭/尾子音・長/二重母音)の流入は最小限に。
  必要なら濁音や促撥音便等を混ぜて同居させる。
    峻別させない。
    できれば、頭音には使わない。
〇アクセント・声調はワンパターン。
  例外的に、注意を要する場合のみ目立たせる。
  パターンは方言毎に異なる。

SVO型というような、文構造で文章を規定する必要はなく、基本語彙を中心にして並べるだけでよい。
〇意思伝達用の基本語彙は動詞・形容詞。
  名詞は準基本語彙で、その詳細化に用いられる。
〇名詞は必然的に曖昧化・多義化する。
  名詞は派生語と渡来語が中心となる。
  古名詞には対応する動詞・形容詞ができている。
   同様に渡来語も対応語を創れる。
〇基本語彙は[無変化]語幹-[変化]語尾からなる。
  語幹は1〜3音素で形成される。
  語幹の種類は1000程度で十分機能する。
  語尾は多様だが強い規則性が働く。
  語尾で自動詞-他動詞を峻別する。(目的語有無ではない。)
   (「倭語」は「漢語」から見ると、とんでもなく多くの音からなる語彙だらけの言語とみなされよう。例えば、ワタクシとIを比較するようなもので、現代でも通用する特徴と云ってよいだろう。しかし、基本語彙の語幹は本来的には短いと見るべきだろう。比喩表現やお飾りを入れ始めると、キリが無くなる体質があるだけのこと。)

文章の核である基本語彙に、前置部と後置部が付くと文章骨格が定まる。
詳細化のために必要な語彙はすべて前置である。このため、構造文言語でないにもかかわらず、倭語はSOV型と見なされることになる。倭語の文章に主語(S)という観念は無いにもかかわらず。
要するに、基本語彙の述部ありきの言語ということ。述部に主部が付くのではなく、付加部のなかに主語が含まれることがあると云うに過ぎない。但し、話語であるから、話し手と聴き手という概念は厳然として存在する。基本語彙の意味を確定するためには後置部が必要となる。この箇所の働きで意味が大きく左右される。
〇語尾に助動詞・述部助詞等を付けると意味が確定。

前置部には、構造文でのS・O・Cを並べることになるが、自明でない場合は助詞を付属させる。
文構造で語彙の文章上の役割はわからないので、非基本語彙に付く助詞で語彙間の関係が見えてくることになる。語彙の順番ではなく、助詞による語彙関係表示で、文の意味がわかる仕組みである。
従って、基本語彙がはっきりしているなら、異常とも思える順番であっても、意味は100%伝達できることになる。語順は情緒の表現ということになろう。その意味からすれば、文芸的な言語と云えないこともない。
ともあれ、鉄則は、聴き手に、述部が峻別できて、その部分の誤解が発生しにくい文章に仕上げること。

生きている言語なので、造語と新語彙導入は活発である。
  派生的展開は頻繁。(語尾変化)
  重複表現(擬声・擬音や枕詞)を好む。
  単語連結的複合語や類似語変換は常用。(漢字文化模倣)
  言葉遊びも少なくない。

以上、「古事記」を眺めれば、ほぼ当たり前に感じられることを書いてみたが、まとめれば至極簡単である。倭語は話語であるということに尽きる。場を踏まえて、話し手と聴き手が分かり合えるように柔軟に会話を進めるのは、全体主義国家や儒教世界でなければ、ありきたりの姿勢と違うか。要するに、談話。「古事記」が収録した叙事詩とは、そのようなムードの伝承話ということになろう。

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