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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.12] ■■■
[588]河川用語の常識
インテリの話をしているが、それは「古事記」と「万葉用字格」を、言葉としては適切とは言い難いが、蔑んだ読み方をする人だらけに映るから。ご当人はそれに全く気付かないようだが。

例えば、「万葉用字格」を読む場合の頭の使い方だが、編纂者の考え方を大胆に推定することができるからこそ意味がある書。"概念的には海=水ということなのか?"という風に思い巡らしてこその価値。・・・とは実は<満ッ>の略ではなく<ぅみ>ということかも、となるのである。こうした、トンデモ仮説が生まれることになり、素人なら下らぬ与太話でしかないが、素養を積み重ねた人であれば貴重な気付きに繋がることがある。(雑多な人が集まって冗談三昧になりがちなサロンが愛されるのはこういう点も大きい。突然、ガツンと一撃を喰らう歓びがあるから。同質性を確かめるために、群れて嬉しがる会合ではないのである。)

・・・という話をすれば、タイトルを見た、勘の鋭い人はたちどころに話題がわかるかも。

「古事記」の評価で、「河・川・水が混在しており、どう区別するかの観点が確立していなかったことがわかる。」といった解説を取り上げようとの"嗜好"。ご想像がつくかと思うが、小生からすれば、観点が確立していないのは、解説者の方。

ちなみに、「万葉用字格」には、河・川はカハとの読みの記載は無い。
[正訓]カハとされているのみ。流石!
[正音]であり、[義訓]河次カハナミ、鳴く河蝦/河津/河豆は[正訓/借訓]。川の記載は無い。
「ふ〜ん。」だけで十分参考になる記述といえよう。「萬葉集」収録歌が実際どうかを調べたいのではなく、「古事記」の考え方を見たいだけなのだから。

小生"的"な解答を書いておこう。

「古事記」序文(漢文)がすべてを物語る。
 当然ながら固有名詞のカハは安河である。
 しかし一般名詞は川。
    化熊出川 皇輿忽駕淩渡山川
もちろん、上巻にも引き継がれ山川悉動という表現となる。漢語を知っていれば、当然の姿勢と云えよう。
とはもともと固有名詞であり、黄河を指す文字であることを知らぬ人はいまい。揚子江を河と呼ぶ人はいないし、四河という地名が通用する筈もなかろう。「古事記」はそれに倣っており、固有名詞はすべて"河"。

ここで終わりにしておこうかと思ったが、当方の主旨を誤解されてもこまるので、続けて書いておこう。

川文字は、上記以外にも使われているからだ。・・・
 ⑧段:星川臣 川邊臣  ⑮段:川原田郎女
 ⑮段:吉野川
それに、「三川」と「川内」。

川内とは河内のことだと思われ、地名としてはそちらの記載が基本のようにも思える。(考慮の上で文字を使用していることがわかる。)
 ㊤巻:川内國造  ㉘段:川内之若子比賣  ㉚段:川内科長【御陵】
 ⑩段:河内之美努村  ⑭/⑲段:河内-惠賀-長江(長枝)

さて、その残りの三川だが、用例は目立たない。
 ⑨段:三川之穂別  ⑪段:三川之衣君
四川と同じように3本川を指す地域名称だが、知る人ぞ知るの言葉でもある。
インテリ層はもちろんご存じだが、3本川(男川・豊川・矢作川)が由来ということに異義を申し立てることは無いのが普通。説明上便利な上、地元が喜んでいるようだし、他の発祥説も耳にしないからである。しかし、この説は本居宣長がお墨付きを与えたので通用しているに過ぎない。常識的にはあり得ない理屈だが、宣長を無知とみなす不遜な輩とされて迫害でもされたらかなわないから、それで結構としているだけ。(この地は、西側だけが三河国造であり、東側は穂国造なので一体の地域名ではない。)
ついでながら、こういうこと。・・・
「三川」
  ⇒「参河(律令制公式@704年)
    ⇒「三河(書き易い文字化@平安期)
      ⇒「御川(武士政権の好字)

「古事記」成立は712年であり、太安万侶は十分に考慮した上で、河を用いていると考えるべきだろう。

---河---
㊤巻:天安河 肥河/日河 沼河 美濃國-藍見河
   (八河江)比賣
①段:吉野河 狹井(佐韋)河
  神(沼河)耳命/建(沼河)耳命
②段:
   (河俣)毘賣
⑦段:針間-氷河
⑧段:
   (蘇賀 石河)宿禰
⑨段:春日-伊邪河
   (河俣稻依)毘賣
⑩段:山代-和訶羅河 鵜河
   (荒河)刀辨 河内之美努村 建(沼河)別命
⑪段:鳥取之河上
⑮段:伊豆志河 免寸河
   宮主 矢河枝比賣
⑲段:
   河部
⑳段:玖須婆(屎褌)之河
㉑段:美和河
   河瀬舍人
㉓/㉗段:飛鳥河

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