→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.16] ■■■ [592]かしこみかしこみ もまをす発祥観 叙事詩同様に畳語になっているから、かなり古層の言語を反映していそうだが、[形容詞]<かしこ-し>と云う倭語から来ていると見られている。 「古事記」でも、繰り返し言葉にはなっていないものの、神との交流の際の用語として使われている。但し、漢字表記は一定していない。 特に気になるのが、[形容詞]<かしこ-し>⇔[動詞]<おそ-れる>的な用法になっていそうな点。全く由来が異なるとしか思えない2種の倭語が、同一漢字の訳語として使われていることになる。 重要な言葉なのに、どうしてこのようなことにしたのかは定かでない。 ただ、思った通り、「万葉用字格」では、<おそ-れる>を無視して、<かしこ-き>のみである。 漢字の語義はほとんどトートロジーに陥っており、もともとは神話の世界に関係していたものの、神話抹消の道を歩んだから、ほとんどわからなくなっているようだ。「古事記」では、各漢字の用法が見えてくるように配慮が施されており、おそらく、太安万侶は形象的字態から、その本義を推測したのだろう。 「古事記」からすると、神事の詞は" ≪懼[心/忄+䀠+隹]≫ 亦 取成劔刄 故 爾 <懼> 而 退居 既崩訖 爾 <驚懼> 而 坐殯宮 令燒其家之時 其大縣主 <懼畏>稽首白 ≪畏[甶(鬼)+{一𠄌乀丿}]≫ 并八雷神成居 於是 伊邪那岐命<見畏> 而 逃還之時 故 於是 天照大御神<見畏> 閇天石屋戶 而 故 其八上比賣者 雖率來 <畏>其嫡妻須世理毘賣 而 其所生子者 刺狹木俣 而 返 因甚凶醜<見畏> 而 返送 若渡海中時 無令<惶畏> 即 載其和邇之頸 化八尋和邇 而 匍匐委蛇 即 <見驚畏> 而 遁退 故 竊伺其美人者 蛇也 即 <見畏>遁逃 自船追來 故益 <見畏>以 自山多和引越御船 逃上行也 其弟建 <見畏>逃出 乃追至其室之椅本 押騰新羅之國 既到半國 於是其國王<畏惶>奏言 其弟忍熊王 <不畏>其態 興軍待向之時 赴喪船將攻空船 喚上 而 使也 然 <畏>其大后之嫉 逃下本國 爾 輕太子<畏> 而 逃入大前小前宿禰大臣之家 而 令燒其家之時 其大縣主 <懼畏>稽首白: 「奴有者 隨奴不覺 而 過作 甚<畏> 故 獻能美之御幣物 故天皇 <畏>其宇多岐 登坐榛上 天皇 於是 <惶畏> 而 白:「<恐>我大神 有宇都志意美者 ≪恐[工+凡+心]≫ 【漢文序】臣安萬侶 <誠惶><誠恐> 頓首頓首 答白:「<恐> 亦 不覺御名 然愛我那勢命 入來坐之事<恐> 故 欲還 爾 足名椎 手名椎神白:「然坐者<恐> 立奉 問天尾羽張神之時 答白:「<恐之> 仕奉 問賜之時 語其父大神言:「<恐之> 此國者立奉天神之御子 將殺時 建御名方神白:「<恐> 莫殺我 於 是建内宿禰大臣白:「<恐> 我天皇 猶阿蘇婆勢其大御琴 爾建内宿禰 白:「<恐> 我大神 坐其神腹之御子 何子歟 爾言祷 白之:「<恐> 隨命易奉 於是父答曰:「是者天皇坐那理 <恐之> 我子仕奉 故 不出外以置也 是<恐> 隨大命奉進 令奏天皇 背日幸行之事 甚<恐> 故 己直參上 而 仕奉 天皇 於是<惶畏> 而 白:「<恐>我大神 有宇都志意美者 ≪惶[心/忄+皇]≫ 【漢文序】臣安萬侶 <誠惶><誠恐> 頓首頓首 若渡海中時 無令<惶畏> 即 載其和邇之頸 於是天皇 <惶>其御子之 建荒之情而 既到半國 於是其國王畏<惶>奏言 自今以後 隨天皇命 而 可謂無信 既行其信 還<惶>其情 故 雖報其功 滅其正身 天皇 於是 <惶畏> 而 白:「<恐>我大神 有宇都志意美者 ≪威[戌+女]≫ 【漢文序】杖矛擧<威>猛士烟起 其容姿端正 於是有神壯夫 其形姿<威>儀 ≪賢[臤+貝]≫ 【漢文序】所以稱<賢后> 天香山之<五百津眞賢木>矣 又科賜 百濟國 若有<賢人>者貢上 ≪怖[心/忄+布]≫ ≪惧[心/忄+具]≫ ≪怕[心/忄+白]≫ ≪悚[心/忄+束]≫ ≪虞[虍+吳]≫ (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |