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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.1] ■■■
[638][付録]5音とは"3節+息休め"形式か
「古事記」を読んで、言語のセントラル・ドグマを感じることができないと、鑑賞としては今一歩では。・・・
  <言葉とは音である。>
誰でも頭のなかでは、このドグマは正しいと考えるだろうが、本当に自分がそう感じることができているのか、自省するのも悪くなかろう。自分は詩人と自負されている方は別だが、一般人にとってはそれほど簡単なことでもないからだ。

特に、日本語は母音語であり、漢語や英語のような子音語とは音が全く異なることを味わえているかは大事なことだと思う。子音をしっかり伝達するには、かなりの息量とスピードが必要である上に、それが音節末に来るので、伝えるためにどうしても意気張らざる得ない。
倭人はそれがお嫌いだったようで、子音の音は必ず母音でかき消されてしまう。その母音だが、自然体での発声だから、音の柔らかさは格別の言語と言って間違いないだろう。
しかも母音の数が少ないから、気を遣わずにお気楽に発音できるので、音の美しさに凝りたければいくらでも工夫が可能。

それを引き立たせるのが、五七のリズムということだろう。
  📖五七定型歌への道
しかし、"○○○○○"と音がズラーと並ぶだけでは、いかにも単調という印象を払いのけることは難しかろう。
そう思って、よくよく眺めてみると、5音の歌詞を4拍(3語彙+休符)で謡う形式になっているのではないかとの気分が生まれてくる。
  ③①-u𝄽…八雲立つ
  ②②-u𝄽…高光る
  ②②-i𝄽…みつみつし
  ①が③𝄽…吾が心
  ②つ②𝄽…沖つ鳥
  ②の②𝄽…道の後
  ③①を𝄽…賢し女を
  ②②の𝄽…射干玉の
  ②②よ𝄽…狭井川由
  ②②に𝄽…青山に
  ②②や𝄽…天なるや
  ②②は𝄽…赤瓊は
  ②②て𝄽…盾並めて
  ②②と𝄽…すくすくと
  ②②が𝄽…すすこりが
この辺りの感性は詩人にまかせたいところ。

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