→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.2] ■■■
[639][付録]何語で読むか?
「古事記」の歌は、音素文字で書かれているので、素人でも音は推定できるが、どの様な語彙で形成されているのかほとんどわからない。よく見ると、専門家の見方も様々で、単に細かな表現の違いを通り越していることがわかる。
このことは、歌うという行為の捉え方や、作品の創案者の想定がヒトによって違っていることが大きいが、そこらについてどう考えているのか書かれていることはほとんどないので、残念ながらどのような見方があるのかさえほとんどわからない。本来は、ここらから紐解いていかないと、「古事記」などとても読めたものではないが、そこに手を出すと泥沼に入ってしまうので、適当的なところで折り合いをつけるしかない。と云うのは、多くの場合、文脈から一意的に決められるものではないからだ、しかも、地文で"〜歌曰く"とされているからといって、主語を歌人とすると素人からすると全く解せぬ筋の歌になってしまったりすることも少なくなく、誰の歌なのかについても考える必要があるからだ。
結局のところ、適当に選ぶしかない。このようなやり方は、経験論的には大外れである確率が極めて高いし、見直すパトスを失うので避けたいところだが、致し方あるまい。(本サイトでは、できる限り、権威主義的な一律化と反対方向で選んでいるつもりだが、単に、素人にはその方が似つかわしいというだけのこと。)

実は、この問題は地文でも存在しており、問題としてはこちらの方が大きい。

その辺りに触れておきたい。・・・

説明が少々厄介なので、余計な話も加わって、冗長になってしまうが、そこらはご勘弁のほど。・・・

英語はアルファベット表記で、音素文字が並ぶからほぼママ読みできるが、現実にはその音ではコミュニケーション不能。しかし、文字の綴りから個々の単語がおおむね一意的に決まるので、どのような音かはわかるようになっている。そのため、文章語を話語に、100%変換可能と言ってもよかろう。
一方、漢語は、漢字1文字が最小発音単位であるため、その読み方通りに発音すれば原則的にはママ話語になる。文字の読み方は何種類かあるものの、種類別に一意的であるから、文章語と話語は完全一致に映るが、実態は全く異なる。
太安万侶が、音素文字で文章化してしまうと大幅に文字数が増えてしまいどうにもならなくなるという話をしているが、これは「古事記」だけの問題ではなく、漢語でも同じことがいえよう。漢字1文字で表現できる情報量はたいしたものではないから、話語で用いる単語は複数文字になるのが当たり前。しかし、それを逐一文字化したら長文化必至。できる限り省略しているに違いない。句読点無しにするのも、第一義的には文字数抑制と思われる。SV構造の文型ありき言語であっても、S省略も推奨されることになろう。
(太安万侶が参照したであろう漢籍の場合、現代の漢語では読めないらしく、翻訳が必要になっている。詩がわからないのは当然だろうが、散文でも同じこと。句読点の箇所も自明ではないようだし、語彙についても付加文字が無いと意味が掴めないことが多いようだ。)
漢語は、修飾・儀礼文挿入とか、美麗化対句あるいは重畳表現が多いが、文章全体で考えると、語彙圧縮の目的に沿ったものと考えることもできよう。文末の一文字辞も句読点省略法でもあるから、多用されて当然と云えよう。このような表現方法を採用している以上、文章語と話語は一致していないと考えた方がよいかも。
そんなことより、中華帝国では、科挙が成立した時に、すでに書面文章の文言と口頭の白話は全く別とされており、<言文分離>が鉄則。

日本国では、公的文章は漢語だった。従って、その読み下し文が実は日本語の文言に当たる。

そうなると、漢字表記の倭語で書かれた「古事記」はどう見るべきだろうか。

そこで考え始めると、自分が無頓着に読んでいることに気付くのではあるまいか。
読む対象は実は真の「古事記」ではない。日本語古文に読み替えた、つまり倭語を<読み下し文>に翻訳したもの。少なくとも検索で見る限り漢字の対訳本は存在してないから、翻訳文を読んでいることになろう。
(「読み下し文」とはもともとは<官語>であって、漢文の日本語翻訳文を標準化するための文法である。英語でわかるだろうが、翻訳文章が一意的に同じになる訳がないが、バラバラでは皆が迷惑するから、半ば強制的に標準化を果たしたに過ぎない。)
漢文が公式文書であると、"準正式"な翻訳文を作成する必要に迫られるが、その担当者毎の文章が大きく変わってくるのではこまる訳で、統一的な手法が必要となるのは当たり前。
つまり、「古事記」を読んでいると称しているが、特定の学者が書いた翻訳文を眺めて読んでいると思い込んでいるにすぎない。現代文訳とは、それをさらに読み易く書き換えたものであるのは言うまでもなかろう。

「古事記」を読むと簡単に言いがちだが、<言葉とは音である。>と云うことで読むつもりなら、そう単純なものではないことがわかる。

【付記】Wikiは当たり前の分類用語で「読み下し文」を定義している。
      漢文訓読:[言語系統]日本語(大和言葉)と古典中国語のクレオール言語


 (C) 2022 RandDManagement.com  →HOME