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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.17] ■■■
[663]本文のプレ道教性[5]鬼神排除
道教は土着信仰の寄集めに、確立している宗教の教義を組み入れているので、広範な上に雑多でまとまりがなく、視野を絞り込んで検討する専門家の見方を参考にするしか手がないから、全体像把握ができないままで適当に解釈するしかない。
そうなると、滅茶苦茶になりかねないので、原始道教(民俗的信仰)⇒教団道教(道士組織)⇒成立道教(経典宗派)の3段階で捉えることになってしまう。すでに書いたが、頭の中で考えれば、それらしき発展段階が頭に浮かんでくるので好都合だが、現実には相互浸透併存状態であり、転化のメルクマールを付けることもできかねるから、社会状況を考える上では役に立たないと考えた方がよいのでは。

・・・という見方で、五行と星辰を取り上げてきた。
ここらは、比較的解り易いからで、少々難しいジャンルにも踏み込んでみたい。
👹それが<鬼>である。
その定義は難しいが、「今昔物語集」には数々の鬼が登場しており📖、後世とはいえ極めて馴染み深い存在なのがわかる。ただ、古代は<おに>という倭語はなかったようだから、そこらを踏まえて考えてみることにしたい。

「古事記」では、<鬼>についての編纂方針ははっきりしていて、全く触れていない。道教の影響下にあるということなら、鬼が登場しないなど、ほぼあり得ないだろうから、大陸と倭国は異なるというメッセージ性があると見てよいだろう。大陸では、<鬼>が重要な国家祭祀に係ることははっきりしていたのだから。
  萬國和 而 鬼神山川封禪與為多焉[「史記」五帝本紀]
・・・と簡単に書いてしまったが、<鬼>の見方は実は錯綜していて、検討しようとすると面倒なことこの上無し。「酉陽雑俎」に倣って、表面的に死者の魂程度の定義でお茶を濁すことにしてもよいが、ここらのゴタゴタの発生について、書いておかねばなるまい。それを知っているからこそ、太安万侶は<鬼>の記述を避けたかも知れないのだから。

発端は、道 v.s. 儒ではなく、墨 v.s. 儒。
墨子は名前は知られているものの、注目されることが少ないので、その様な話を耳にすることは少ないかも知れないが、プレ道教の頃の話。
この対立からか、墨子は他の諸家から総スカンを喰らったようで、方向転換を図ったのだろうが奏功せず。その後、始皇帝が消えるのと軌を一にして消息がつかめなくなる。そんなこともあって、無視されがちだが、儒の対抗馬として有力な勢力だったのは間違いなさそう。

その様な、トレースが難しい勢力を取り上げざるを得ないのは、土着の鬼神召喚信仰を重視すべきという姿勢が顕著であり、儒教を<無鬼>勢力と見なして批判対象に設定しているから。
その上、「墨子」は"道教"という語彙の初出漢籍。
・・・墨子曰:「天下之所以生者 以先王之道教也…」[@耕柱] 「…不治則亂 農事緩則貧 貧且亂政之本 而 儒者以爲道教 是賊天下之人者也…」[@非儒下](一般用語であり、儒教を意味しているが、当然だろう。儒教の経典では、"道"の思想が記載されているのだから。宗教としての"道教"概念は墨子のずっと後に確立したことになろう。)

つまり、我々の時代から見れば、<鬼>についての定義は4種あることになろう。(墨子の原初鬼神 道教鬼神 儒教鬼神 仏教鬼神)従って、議論対象をはっきりさせないと、何が何やらになりかねないのである。
しかも厄介なのは、墨 v.s. 儒に、<鬼>の扱いが絡んでいるからだが、そこでの墨の儒批判がレッテル貼り的なので益々厄介極まる。敵意盛り上げの為に書かれていそうで、ここらをどう解釈すべきか迷わざるを得ない。
ともあれ、両者は根本的なレべルで対立しているのは間違いない。
道教も、本来的には儒教と対立してはいるものの、教条主義ではなく、各地の呪術職業生活者達が依拠する宗教なのでどうしても鵺的にならざるを得ない。
  <儒教の根幹たるイデオロギーに真っ向から対立>・・・墨家
  <儒教の根幹と全く異なるが是々非々でイデオロギーを取入>・・・道教教団


【墨】の考える【儒】との対立点はこういうことのようだ。(通称「十論」)【儒】の解釈はかなり恣意的。鬼神排除の考えがあるとは思えない。・・・子曰:「牲牷禮樂齊盛 是以無害乎鬼神 無怨乎百姓」[「禮記」表記])・・・
【儒】人は国家愛に至るべし。(家長愛⇒宗族長愛⇒皇帝愛)
 【墨】人は天の志(明知・普遍性)に従うべし。(自身愛⇒他者愛⇒全天下愛)[
兼愛]
【儒】姓(擬制的血縁)重視・貴賤親疎の倫理。
 【墨】万民(非世襲)・賢者/有能者支持(無差別)の平等主義的共同体倫理。[
尚賢 尚同]
【儒】鬼神(賞罰)観念を排除すべし。(執無鬼)[「論語」]
 【墨】明鬼(神妙)こそ確信すべし。[
天志 明鬼]
【儒】礼と楽の尊重。
 【墨】歌舞音曲軽視。(勤労・節約重視。[
節用])[非楽]
【儒】厚葬礼に注力。
 【墨】軽葬礼化。[
節葬]

【儒】は帝国秩序樹立の理想論に過ぎないが、独裁制度と支配層峻別による統制管理国家のイデオロギー的根拠としてははなはだ有用である。その一方、【墨】は、現実を見ればほぼ不可能と思われる「反戦」観念論[非攻](戦争は悲惨であって、不合理なのは当たり前。)を展開し、行動にうつしたようだ。さらに、何事も宿命と諦めて諾々従う人民の性情を変えようと力説。[非命]・・・要するに、戦乱の日常化を止めるには儒教を叩くべしという単純な発想であり、支配層内の、個人の精神的自由抑圧を嫌う人々の夢想以外のなにものでもなかろう。つまり、【墨】には、部族社会から国家体制への脱皮中という現実社会認識が決定的に欠落していることになる。
一方、【儒】は、時代に合わせ、神話の様な部族精神の支柱を折ることに熱心。同時に、宗族など典型だが、部族観念で馴染んでいる概念を類似新概念へのすり替えを徹底的に行った。その一方で、哲学的主張になり難い民俗的な行為を選択的に奨励することで、被支配者の従属性を固定化させ、社会安定を図ったと見てよかろう。合理的なら、妥協や変節を厭わない姿勢を示しており、【墨】の批判はドン・キホーテ的にならざるを得ない点にも注意を払う必要があろう。
言うまでもないが、【儒】が広く俗信化しているのに、それに抗して<無鬼>を主張する訳がなく、儒教型を標準とした"公定"鬼神祭礼を推進したに違いなかろう。【儒】は思想的に無鬼、と解釈すべきではないだろう。
それに、【儒】は、賢者・有能者を登用すると称する科挙制度の推進者である。(合格者は有力宗族の婿となるか、高級官僚の手下と化す。)
上記の様な感覚が【墨】に欠けていると考えれば、シナリオなどすぐ書ける。・・・要するに、現実を見ようとせず、反戦追求の正義のスローガンに酔っているに過ぎない。いくら主張しようが、侵略者の態度が変わる訳ではないのはわかりそうなものだが。結局のところ、侵略に抵抗するための軍事組織化の道をたどるしかない。そして敗戦の憂き目となれば、空しいスローガンが残るだけ。
【墨】もやがてリアリズムの世界に引き込まれ、「反戦」の観念論性に気付かされることになろう。・・・ドグマ一本槍思考で来ているから、その先は、"侵略戦争を終わらせるなら、武力支配による絶対王権樹立が確実で一番の早道。"という結論しか得られまい。始皇帝時代を切り開いた勢力と化してもおかしくなかろう。
当然ながら、始皇帝時代が始まれば、戦乱自体は急激に減少する。しかし被支配層が安寧の日々を送れるようになるわけではない。熾烈な戦乱の替わりに、日々黙々と過酷な労働に従事させられるだけの話。
その後、王朝が変わり、【墨】は跡形もなく消滅していくことになる。もっとも、話はそれで終わらず、とんでもなく後の時代に、【墨】は突如、画期的「非攻」思想として復活してくることになる。

上記で、【墨】の【儒】批判はドン・キホーテ的と書いたが、あくまでも現代人のセンス。そこらについて書いておこう。・・・このレッテル貼り批判は、実は、【儒】の本質を突いている。儒教でも鬼神は祭祀対象だが、鬼の様態がはっきりしている訳ではなく、天帝とは違って多様であり、明らかに形而上の抽象的存在。土着民俗信仰の鬼神とは、実在体験に基づく具象的存在がベースにあり、そこからくる多様性。単純化すれば、【墨】は鬼神・天帝の2界信仰とも言えるわけで、両者の鬼神観は全く異なる。このため【儒】の鬼神祭祀の姿勢を見れば、鬼神の存在を疑問視している集団と規定せざるを得なくなろう。よく知られる言葉を解釈すればそうならざるを得まい。(子不語:怪 力 乱 神 [「論語」述而])要するに、儒教は祭祀に政治的合理主義を持ち込んでおり、その最重要方針は、弊害を生む過剰尊崇/不敬は避けよ、になる。
それなら、【墨】の鬼神祭祀方針は相対的に見れば政治性が薄いことになる、と誤解しがちだが、逆だろう。鬼神の"力"を皆が信じて祭祀を行うことで、社会は平穏になると見ているだけ。極めて功利主義的な祭祀の位置付けである。

≪儒教の構造≫
天帝
<命> 現皇帝 <命><命><命> 官僚 支配 人民
_ <祀> <祀>  <忠>   <忠>   <忠>
<命> 古皇帝 <命> 宗族祖 <命> 宗族長<命> 族員
_ <祀>  <忠>    <祀>     <孝>

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≪鬼≫@「萬葉集」
【[訓]おにn.a. …平安末期成立と推測されている。
【[呉音 漢音]餓鬼ガキ[巻四#608]餓鬼之後尓 [巻十六#3840]女餓鬼申久…男餓鬼被給而 …仏語
【[正訓]もの[巻四#547]縁西鬼尾 [巻四#664]言義之鬼尾 [巻七#1350]戀敷鬼呼 [巻七#1402]可放鬼香 [巻十一#2578]觸義之鬼尾 [巻十一#2694]應戀鬼香 [巻十一#2717]不相鬼故 [巻十一#2765]可死鬼乎 [巻十一#2780]因西鬼乎 [巻十二#2947]應忌鬼尾 [巻十二#2989]縁西鬼乎
やみ[巻十五#3688(題詞)]到壹岐嶋雪連宅満忽遇鬼病死去之時作歌一首
[巻十三#3250]吾戀八鬼目
しこ[巻二#117]鬼乃益卜雄 [巻四#727]鬼乃志許草 [巻十二#3062]鬼之志許草 [巻十三#3270]鬼之四忌手乎
【参考】「古事記」の"みたま"[人的神]・・・宇迦之御魂神 大國御魂神 「此之鏡者 專爲我御魂」 底"度久"御魂・"都夫多都"御魂・"阿和佐久"御魂 布都御魂 「我之御魂 坐于船上 墨江大神之荒御魂

【"道教"康僧鎧 譯:「仏説無量寿経」でも翻訳漢語として用いられている。無量寿=不老不死。長寿願望と生き方では全く異なるものの。儒教国なので、日本の風土とは180度違っており、官僚統制できなくなる、原語解釈的注記はタブー。一方、翻訳語についての注記や新解釈は反体制でなければいくら生まれても一向にかまわない。尚、翻訳完了後、原著は抹消される。梵語文献は残存しない。
<鬼神>前世 頗作福コ 小善扶接 營護助之 今世爲惡 福コ盡滅 諸善鬼神・・・
<道教>具足功コ 微妙難量 遊諸佛國 "普現"道ヘ・・・如來以無盡大悲 矜哀三界 所以出興於世 "光闡"道ヘ・・・佛語阿難 無量壽佛 爲諸聲聞 菩薩大衆 班宣法時 都悉集會 七寶講堂 "廣宣"道ヘ・・・乃復有佛 今我於此世作佛 演說經法 "宣布"道ヘ


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