→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.21] ■■■ [667]本文のプレ道教性[9]女系制時代の感覚 中華帝国文化の一大特徴は、官僚統治にあり、 なんだろうとご都合主義的に取り込むこと。 そして、 後から政治的に整理していく。📖 そんな社会で国教化を図るのだから 道教教団とは政治勢力そのもの。📖 当然ながら、 各地の拠点である道観は、国家主導で王侯貴族が建立するもの。 そんなことは他の宗教でも似たりよったりに見えるが、 他の宗教は教団あっての布教だが、 道教は地場信仰の寄集めなので そのような組織は後付け。📖 要するに、以下の様な<道教史>とは、部分的事実を繋ぎ合わせたフィクション。実態的には、何の繋がりもなく、寄集めてストーリー的に仕上げてあるだけ。こんなことは、なんら驚くべきことでは無く、史書とは王朝正統性を描くため、ストーリーに沿って事績を取捨選択して並べたものなのだから。 教団と言ってもその実体は、地場のバラバラな呪術者集団である。 (尚、仏教史とは思想の系譜であり、王権系譜書である史書系とは意味が異なる。道教史は誰が書いても史書系になってしまう。それこそ、仏教も道教の一部とされることになる。荒唐無稽に見えるが、その様な宗教である。ここらの説明ができていない解説書は読まない方がよいと思う。 同様に、儒教の宗族信仰を、一般的な祖先祭祀の延長線にあるかの如きイメージを与える解説本も避けた方がよい。儒教社会とは、祖霊の意向に従う族長の独裁組織ありきで、この擬制血族観念に基づいて、全員が鉄の規律で縛られる仕組み。それが嬉しい人しか生きていけない強権社会が出来上がることになる。) 例えば、こう描くことになる。 ⓿原始信仰 ⇩ ❶老子:周守藏室之史@「史記」老子韓非列傳第三 ⇩ ❷道家者流37家(黄帝・老子〜列子〜荘子)@「漢書」芸文志 ⇩ ❸"太平の世"道教@「太平経」…儒教国家強化再編(地域性濃厚) ⇩ ❹"神仙"道教@「抱朴子」…非政治志向 ⇩ ❺"天師道"道教…国教化念頭(皇帝御用) ⇩ ❻"教義儀式典範類整備"道教…宗教体系化 ⇩ ❼国教化@唐朝 ただ、こうした流れで見ないと、時代での信仰の変遷が掴めなくなるので、これを「道教史」として使うことになる。王朝革命と同じで、ガラガラポンで繋がっているだけで、思想的系譜では無いので、注意した方がよい。 これを眺めると、⓿原始信仰が単なる飾りでしかなく、内容がなにも無いことがわかる。 要するに、なにもわからない訳だが、文字化されて、口誦神話型の信仰はすべて抹消されたことを意味していると考えることもできよう。実際、「老子」とは明らかに哲学書であり、宗教書とは言い難いからだ。仙人という、長生願望を凝縮したような観念とこの哲学は波長が合っており、識字層から絶大な支持を受けたということだろう。その流れに乗った呪術者集団が生まれた時代ということになろう。 しかし、それ以前の超古代信仰がどの様なものであったのかは記録が無いのでわからない。それまでの信仰を文字化でひっくり返したと目される「老子道コ經」から推測するしかないことになる。そこには、無文字社会での信仰の残渣が残っている筈と仮定して推測するしかない。 その観点では、こんなところが目に付く。・・・ (§1) ・・・無名天地之始 有名萬物之母・・・ <無>とは 天地の始めと名付けるべきです。 一方、<有>とは 萬物の母と名付けるべきです。 (§6) 谷神不死 是謂玄 玄牝之 谷川の水は 枯れることがありません。 (谷≒穀) これを、霊妙豊潤な女性神と謂います。 (匕:女性器) 霊妙豊潤な女性神が命を生みだす陰門は 天地の根源と謂います。・・・ (§10) 營魄抱一 能無離乎 專氣致柔 能如嬰兒乎 滌除玄覽 能無疵乎 愛民治國 能無知乎 天門開闔 能爲雌乎 明白四達 能無爲乎 生之畜之 生 而 不有 爲 而 不恃 長 而 不宰 是謂玄コ 営々たる肉体を鎮めて<道>を抱いて、はたして離れることができようか。 気力に専心し身体を柔軟にして、はたして赤ん坊の如くになれるだろうか。 霊妙なる心見を灌ぎ清めて、はたして瑕疵無しができるだろうか。 人々を愛し国を治めて、はたして知恵無しでいられるだろうか。 天上界の門が開いて萬物が生まれて、女性でいられるだろうか。・・・ (§20) ・・・衆人皆有以 而 我獨頑且鄙 我獨欲異於人 而 貴食母 世の中の人々は皆それなりに役割を果たしていますが 私独りだけは 頑固に動かず かつ 役にも立っておりません。 私独りだけは 他の人と異なっていたいと考えています。 そんなことで、 <母>に生かされていることを、貴いことと思っているのです。 (§25) 有物混成 先天地生 寂兮寞兮 獨立不改 周行 而 不殆 可以為天地母 吾不知其名 字之曰道・・・ 混沌としている物が有りました。 それは 天地より先に生まれました。 寂寂かつ寞寞とした様子で、 頼ることなく、何も変わらず、 何処までも広がって行き、 何の問題も起きませんでした。 これこそ天地を生み出す母と見なすことができましょう。 私は、その名前を知りませんので、 字あざなとして<道>としました。 (§28) 知其雄 守其雌 爲天下谿・・・ 男のことをよく知って、女の立場を守るようにすれば 天下の谷になることができるでしょう。 (§52) 天下有始 以爲天下母 旣得其母 以知其子 復守其母 沒身不殆・・・ この天下の世界には始まりが有ります。 それを<天下の母>と考えることができます。 その母の意味が解るようになれば その子のことも知ることができます。 その母を守ることに徹すれば、ずっと、その身に何の問題も起きません。 (§59) ・・・有國之母 可以長久 是謂「深根固蒂 長生久視之道也」 国に<母>あれば、長く久しく安定するだろう。 これを 「樹木が地中深く根を張り 長く久しく元気に生きる道」と謂う。 (§61) 大國者下流 天下之交 天下之牝 常以靜勝 以靜爲下・・・ 大国とは 大河の下流みたいなものです。 そこでは天下の全てが流れ込んで交わっています。 天下の全てを受け入れる豊潤な女性神ということになります。 常に静かにしていていることで、勝利を収めるのです。 静かにすることで、謙っているからです。 ・・・女系社会の地母神的信仰が存在していることを示唆しているように思えて来る。 しかしながら、道教の最高~はあくまでも男神であり、女神も神々のヒエラルキーに組み込まれてはいるものの、儒教風土のなかではオマケ的存在にならざるを得ない。黄(天帝)老信仰によって、最高女神は取り払われたということかも知れない。 ただ、現在でも、女神信仰は廃れていないから、その様な精神風土は痕跡的に残っていると言えないでもないが。 そんなことを考えると、「古事記」のトーンは明らかに女神の世界である。女神が生むことで倭国ができあがって行くとのストーリーだからだ。皇統譜の祖も天照大御神であるし、その出自は死せる女神伊邪那美命とはっきり記載されているからだ。 これほど明瞭に記載されている以上、いくら道教のコンポーネントや倭語表示語が道教に似ていたとしても、教義が流入していると考えることは無理。 そうなると、倭国の信仰とは、⓿原始信仰を継承していると推定したくなる。 つまり、極東の島国に、超古代の信仰が、吹き溜まりのように残存していたと考える訳である。「古事記」成立は8世紀と実に新しいが、口誦伝承されて来たものは、中華帝国の文字化時代以前の息吹を感じさせる内容ということになる。時間的にとんでもなく長いから、ママということは考えにくいが、女系制の名残は「古事記」以後も続いており、土着を旨としている以上、根幹的な部分が伝承されていてもおかしくは無い。 母系制部族社会は、土着的であり、環境が激変しない限り、惰性的な伝統遵守が基本方針。その姿勢は、安定第一のリスク極小であるからして、発展抑制的な均衡を旨としがち。(一方、遊牧民が典型だが、移動居住男系部族社会とは文化的に水と油である。生き延びるためには、いつでも戦闘態勢をとれる体制は不可欠で、臨機応変を旨とするしかないからだ。) ところが、部族社会を越えて、国家樹立へと進むと、"発展"と称する拡大路線を歩むしかなく、多分に自転車操業的にならざるを得ない。母系制部族社会に馴染んで来た人々には、まさにコペルニクス的転回に直面することになる。 母系制部族は「山海経」の如く、それぞれの環境毎に神話(叙事詩)を持っており、それこそが≪巫女を介した鬼神信仰≫そのものであっただろうが、国家としてまとめるには、個別神話を抹消し、国家祖神を設定する必要があったに違いなく、広範囲に支配・被支配を巡る戦いが始まってしまえば、抽象的でユニバーサルな≪天帝観念≫への統合は奔流化するしかなかろう。反抗すれば消え去るだけ。 と言っても、辺境地域には信仰残渣が残っておかしくない。文化の中心部ではその様な現象はあり得ず、それは、儒家や法家が盛んだった北方。こうした新時代の流れに乗らず、古代からの信仰にどっぷりと浸かったママな地域とは、南方の呉越・巴蜀である。この地域が、原始道教の揺り篭と云うことになろう。 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |