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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.29] ■■■
[675] ユーラシア古代文明の残渣[4]哲学=理念が原点
ここは笑い話的に読んで欲しい。その様な書きっぷりになっていないのは、筆者の能力的限界の故。

早晩死語化する筈の"4大文明(メソポタミア/チグリス-ユーフラテス文明[前3000年〜]・エジプト/ナイル文明[前3000年〜]・インダス文明[前2600年〜]・中国/黄河文明[老官台:前6000年〜 殷:前1600年〜])"だが、中味を入れ替えれば十分通用する語彙として残せるという、奇妙奇天烈・滅茶苦茶なお話をしてみたい。それは、ギリシア、印度、中原、倭。時間軸や地域を考えれば、トンデモナイ話であることがすぐにおわかりいただけるだろう。

ただ、小生が、「古事記」から判断すると、そうならざるを得ないということ。

先ず、最初は古代ギリシア。神話で遍く知られる多神教の地。いかにも戦争好きな風土に映るが、大陸的地勢ではないため、パワーバランスがそれなりにとれており、交易上相互依存関係も深かったようで、始終戦乱という訳ではなかったようだ。そこらが、都市化で繁栄を謳歌できた理由なのだろう。
しかし、見たいのはソコらではない。宗教的にはえらく寛容で、おそらくなんでもござれという点。この文明が成り立ったのは、そのお蔭で、各地の文化を吸収する中心地たり得たからだと思う。・・・トラキア@ブルガリア・ヒッタイト@トルコ・メソポタミア@イラク・フェニキア@レバノン・ユダ@イスラエル・ナイル@エジプト
もちろん、文明と名付ける根拠は、この地で錚々たる哲学が勃興したからである。・・・イオニア学派 ピタゴラス エレア学派 キニコス学派 メガラ学派 キレネ学派 ソクラテス アリストテレス学派 プラトン学派 アリストテレス ストア学派 アルキメデス
これら哲学の中味はここではどうでもよいのだが、この成果は、その後欧州に根付くことになるキリスト教圏の母体となっていると喧伝されている点に注意を払う必要がある。いくら聖書を読み込んだところで、両者に関係があるとはとうてい思えないからである。聖書解釈の基本である三位一体なる概念にしても、整然とした形而上学たるギリシア哲学からの派生とは思えないから、キリスト教社会にギリシアの知的営為が組み込まれていると考える理由は、宗教の教義が哲学で洗練されているということだろう。
ギリシア哲学的な宇宙論や社会論とは無縁であるが、神話的な信仰では、部族社会を彷彿させてしまうからと言うこともできよう。ギリシア精神的には、部族民とは、部族神に帰依すると決意した個人ということになり、部族神を宇宙の絶対神へと昇華させれば、言語が異なる部族を次々と吸収していくことができるからだ。(被支配部族の奴隷反乱は無くなることになる。)極めてインターナショナルな宗教が成立したことになろう。
つまり、ギリシア(及び ローマ)文明は滅んだものの、キリスト教の国教化がその流れを踏襲していることになろう。
  口誦伝承"代表的"一神話(語り部)・・・脱部族民としての使徒化
   ⇒文字表記化(王権による標準化)・・・各国語翻訳「聖書」
    ⇒支配層内の哲学論争・・・神学者による標準化
     ⇒宗教の教義樹立+国教化・・・国王の神学上の認定

さて、次は印度
この地の哲学はゼロを生み出すことでわかる様に最高峰と言われるが、その特徴は宗教≒哲学にある。社会構造上、この様な思惟活動者はもともと古代神話の"語り部"的頭脳労働者であり、軍事・政治・経済活動とは無縁なので、当然の結果。このため、宗教が変わったところで、この職業人に培われた概念はそのママ生き続けることになる。・・・
 ダルマ(法) カルマ(業)ドゥッカ(苦) サンサーラ(輪廻転生) バーヴァナー(修行)
相互依存の、フラグメント化した職業的細分化社会なので、脱部族的信仰は受け入れ易いが、哲学臭は聖職者の職業世界のものと見なされがちなので、哲学的教義が主導するタイプの宗教は力を失ってしまったようだ。職業毎に口誦叙事詩の聖典を崇めることになるので、高尚に映る教派は遠ざけられたということなのだろう。
(例えば、誰でもが知っていると言われている"Mahabharata"とはバラタ族[「プラーナ」だとインド全域の名称]の戦争を物語る壮大な叙事詩[サンスクリットで約10万字]だが、読書用書物ではない。人々は聖者・賢者/哲学者・詩人・語り部からその物語を聴くのである。天啓聖伝「ヴェーダ」も文章化されてはいるが口伝伝承である。)

次が、中華帝国の中原
"百花斉放百家争鳴"として、ここらは既に述べて来た通り。宇宙論は、"道"として、確立したものの、実態としては、天帝命を掲げる天子独裁-官僚統治とそれと連結する祖命を絶対視する宗族長による末端までの統制に必要な観念だけが残されたことになろう。
この信仰を確立する文字表記化過程で、部族神話抹消を進めたが、その反作用でバラバラな呪術や占い等々が溢れかえる状況を作ってしまった。それが道教という存在に繋がる。
【ご注意】中華帝国でのもともとの漢語<宗教>とは儒教のこと。・・・
 宗=尊祖廟[示=神 宀=屋] e.g."能推之於宗教"@「朱子語類」1270年
   ⇩ 現在の用法は日本でうまれた。
 Religion⇒[訳語]宗教@日米修好通商条約1858年
   ⇩ 脱儒教教育で日本から語彙を輸入したのである。
 中華民国初代教育総長 蔡元培[1968-1940年]:「圖畫」


以上、ギリシア・印度・中原のいずれもが、その深さと広がりに差はあるものの、支配層のなかから哲学的な宇宙観を生み出したのだが、3者3様の結末を迎えることになった。
ギリシア部族国家群は哲学を生み出したものの信仰に組み込むのに失敗し、絶対~の救済宗教をアイデンティとする国家に塗り替えられてしまったが、理念型信仰の流れを作ったという意味では、偉大なる文明といえよう。

印度も又、哲学的な様相を宗教に持ち込んだものの、インド亜大陸内ではその手の信仰を広げ定着することには失敗した。結局のところ、文字表記化された叙事詩が事実上の聖典なので、部族を越えて同じストーリーを共有するところでとどまってしまった。従って、印度教以上ではない。
一方、哲学的な見方は、インド亜大陸風習からの離脱へと純粋理念化が進んだため、叙事詩ベースの社会では排除されるようになってしまった。逆に、インド亜大陸外では、叙事詩文字表記化の結果、それが標準的な言語表記方法とされたので、"語り部"的頭脳がインターナショナルに活躍することに。この結果、海も陸も、交易ルートのすべての都市に印度で生まれた観念が自然態で伝わって行ったことになろう。それが社会構造に合う地域では、天竺哲学として渡来地の部族信仰発展型の宗教と融合していくことになろう。それをまとめて仏教と呼ぶが、宗教的にはバラバラと言ってよかろう。ただ、哲学を普及させたパトスの根源は、あくまでも異なる文化間の交流にあるから、インターナショナルな性格が組み込まれていると言ってよいと思う。しかし、土着の宗教を乗せているので、国教化すれば、極めて国粋主義的な一面を抱えていることは間違いなかろう。

結局のところ、この3文明の結末は、聖書の帝国、印度叙事詩教国家(+仏教理念看板国家)、儒教帝国として結実していく。
あらあらで見れば、この文明圏に現代世界は席巻されてしまった感がある。

ところが、この3文明地図に倭を入れ込もうとするとはなはだ厄介である。

天武天皇以来、漢語を大胆に利用した表記の文章で国家の管理運営を旨とする国家である上に、「古事記」序文では、儒教と補完関係にある道教信仰と類縁関係にあると言わんばかりだから、中原文明のデリバティブ的な道教類似信仰の国とみなして一件落着と行きたいところだが、本文を見る限り天帝信仰へと進んだ兆候がさっぱり見受けられない。自然の神々が登場するものの、儒教帝国&道教神学の様なヒエラルキー臭はほとんどなく、死後観念も同一の部類とはとても思えない。
「古事記」を神典的な書に近いとすれば、八嶋叙事詩教国家的に映らないでもないから、印度叙事詩教国家のデリバティブと言えないこともないし、「古事記」は仏教を無視しているとはいえ、現代の寺の状況を考えると、仏教理念看板国家の範疇とも呼べそうだ。
流石に、聖書の帝国の如き理念はを感じさせないから、この類縁で無いのは自明としたいところだが、救済型天国往生の仏教教義は「古事記」成立時にはすでに渡来しており、後世にはその哲学はかなり広まっているし、その信仰は現代に迄つづいている。
・・・3文明の視点で眺めると、どうも収まりが悪く、コリャなんなんだと首をひねらざるを得まい。

ただ、こうなるのはわからないでもない。

正直なところ、本文の<天地が初めて發けし>では宇宙論になっていないと言わざるを得ないし、そこに神が成るというのも、哲学的考究から遠すぎる表現だからだ。
このことは、倭国の支配階層は、哲学的に本質を極めていく姿勢を嫌っていたことになろう。被支配階層なら当然そうなるが、小部族の地位から脱皮し、国家マネジメントが必要になる状況になれば、形而上の議論が必然的に興ってくるもの。それこそが文明の曙光だと思う。
その流れが生まれてしまうと、取り残されぬように争って主流の地位を狙うのが普通では。遅れれば、下手をすれば部族滅亡の道を歩まされるのではないかとの危惧の念に襲われるからだ。実際、形而上の議論ができない勢力は、自己主張が弱すぎ、神話もろとも他国に吸収されるか、属国の地位に甘んじるしかなくなるのが普通。
ところが、倭国はそのような道を辿ったこともなさそうだから、摩訶不思議。

ともあれ、倭国の人々は、信仰を突き詰めて考えることを拒絶していたようだ。
それはわからないではない。日本列島に辿り着けた人々は様々な信仰と言語の少数高級難民が多く、部族としての覇権主義を棄て、妥協と雑種化の道を選んだとの推定ができそう。文字表記化をさせないので、口頭コミュニケーションによる統治であるから、理念で国家統一という方向から程遠く、雑居信仰の状況を容認していたと考えるしかなさそうである。

そうだとすると、倭国の信仰は、3文明が確立していく流れの外に存在していたことになる。と言って、文明に無関心ではいられないから、積極的に交流は図っていた筈。ただ、ママで信仰の根底を成す哲学を受け入れようとはしなかったことになろう。
そんな風土が固定化されていたとしたら、3文明が確立する以前の、プレ文明の息吹をも抱えている可能性は極めて高い。普通は、そのような状態であっても、文字表記化と共に消え去ってしまい、どれかの文明圏に組み込まれ、よくわからない部族信仰の残渣らしきものが見つかるだけ。倭国は例外。

なんとプレ文明の息吹を文字化した書が成立したのである。考えられないことであり、空前絶後と呼んでもおかしくなかろう。

  -- 続く --

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