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■■■ 「古事記」解釈 [2023.5.2] ■■■
[678]段成式に似たり
🗣「酉陽雑俎」を度々引き合いに出し恐縮至極だが、小生には、この著者 段成式と太安万侶がダブって見えるので、どうかご勘弁のほど。

インテリ仏教徒、段成式は本の題名で伝えているように、自分の本はいずれ消し去られることになると予想していた。もちろん、中華帝国から仏教も駆逐されると考えていたのは間違いない。もちろんそれは大当たり。・・・今日、この本が存在しているのは、日本の仏教徒が秘匿していたからに違いないからだ。

この本は、貝葉教と壺仙教を文献引用比較で、ギリギリの線で、面白く書いているのだが、小生が想像するに古い焚書本を図書のなかで偶然見つけたことが執筆の切っ掛けだと思う。言うまでも無いが、自分の考えているようなことが書いてあったのである。
太安万侶もその焚書本の内容を仏僧から教わったと見る。現代感覚で言えば、「酉陽雑俎」を読んだようなもの、と云うか、読んだも同然と確信する。

この時代、書籍に触れることは物理的に容易ならざることで、段成式の場合は親が高級官僚で書籍を保有していただけでなく、実質図書館長だったから、こんなことができたのである。
倭国は文字記載していなかったから、同じような境遇の官僚はいないだろうが、太安万侶は例外的に似た職位についていたのだと見る。多は「古事記」にも記載があり、大和国の古い地区の出自のようだから、倭歌の収集の役割を担っていたようにも見える。
:神八井耳命祖の意富臣[=多朝臣:神楽歌・舞楽相伝の皇別氏族@大和国十市郡飫富郷]

そこで、ふと気付いたのだと思う。
中華帝国の様に神話が消される時代が来たことに。
一旦、その道に踏み入れると、残渣からその存在が分かればよい方で、似ても似つかぬ奇妙な話に摺り替えられたりするのがオチ。

段成式は丹念に、その奇妙奇天烈な話を忠実に記録することに注力したのだが、太安万侶はそうなる前に神話を残そうと奮闘したことになる。
しかし、同時に、おそらく「古事記」は残ることはあるまいと達観していたと思う。
・・・そのことは、国史メンバーだけには内々に話した可能性が高い。要するに、「古事記」から引用したり、類似を思わせる記述は避けて欲しいと語ったということ。そうでなければ、国史は「古事記」の見立てに合わせる箇所があってもおかしくなかろう。

天智天皇-大友皇子(漢語能力ピカ一)は、半島諸国が早くから採用している、朝廷の表記・話語の漢語化路線。倭語は被統治クラスの話語となる。そうなれば、倭語の神話は全て消えて行く。
東シナ海〜半島の情勢も人脈も抱えていた天武天皇は時代の流れとそこらの状況はよくわかっていた訳で、その天皇の勅に従って、口誦叙事を残す方法を考えて到達した結果が「古事記」であると、懇々と説明した可能性が高い。
そして、国史とは、王朝の正統性を示す<紀>の固定化に意味があり、つまり官位を頂戴した者が共有化することで国家が樹立されると説いた筈。つまり、朝廷の下での国家運営の基盤となるべき重要な書であり、両者を混同してはいけないと。

それは太安万侶にとっては、予期せぬ結果をもたらした、と言えそう。

1つは、国史に於ける神話レベルの記載に、<一書>という形での注記が入り、別伝の存在を示すことになった点。中央集権国家実現に向けて動こうとしている、まさにその時、逆噴射まがいの記載をしたのである。国史プロジェクトメンバーが、太安万侶の考え方に深く感じ入ったことを示していると言えよう。

もう一つは、その結果、朝廷の表記・話語の漢語化路線の大転換が図られたこと。文字表記は、漢語とするしかないが、話語は倭語のママとすることに決定したのである。
すでに半島では、母語の叙事や詩歌は失われていることに、皆、今更ながら気付かされたとも言えよう。

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