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■■■ 「古事記」解釈 [2023.6.26] ■■■
[730] 千は人+十だろう
<千>文字の由来について、思うことを書いておきたい。

最初に、おことわり。・・・「古事記」原文を読むなら、漢字の由来について、特に形象的イメージに拘って眺めてはいけない、との専門家のアドバイスを時に見かけるが、その論旨は理解しがたいものがある。従って、小生はできる限り積極的に検討する姿勢を堅持している。
(表記文字選定に当たり、候補文字のなかから太安万侶が選ぶ場合の視点としそうな切り口は色々考えられるが、形象から想定される由来を考えていないと見なす根拠が薄弱なのに、その様な主張をする意味がさっぱりわからない。すでに何回か触れているが、現代日本人は文字の形象イメージへのご執心はただならぬものがあり、突然変異でその性情が身に着いたとは思えず、古代から漢字使用に際してはそこらに関心を示したと考えるのが自然だし、そもそも文字暗記にイメージが多用されているのは間違いないのだから、形象は極めて大きな影響力を持っている筈。もちろん、素人の思い付きが溢れる世界だけは避けたいとの気持ちはわからないではないが、それなら正直にそう書くべき。)

さて、<セン>だが、字形から<人+一>とされており、確かにそのような書体だが、最初期の甲骨文字を見ると<人+十>を上下に合体した文字に思える。十ももともと縦棒で、<人+h>に誤解を避けるために、数詞とはっきりわかる様に<一>を加えたと言うことでは。
そもそも、人に一では何のことやらさっぱりわからぬではないか。<十>という数詞のコンセプトを加えて、一から始まる単数⇒十⇒千との十進法文字としての設定ならわかり易かろう。(百の形象は十とは無縁だろうが、団栗に数詞一を付けた文字に見える。)
その元のコンセプトは類縁文字で見ることができよう。・・・
  かしら …人[亻]の大集団
いかにも国家観が確立されて生まれた文字という印象を与えるから、殷(商朝)の造語では。デリバティブも同時期誕生か。(「古事記」には非出。)
  はとむぎ …草[艸]が猛烈に繁茂する状況
   あぜ  …阜[阝](=郷土)に網の目の様に畦路が走る状況
他にご存じの数詞国字があるが、それ以外はほとんど情報が無い。(みやこがえ(=遷) きる(けずる) そむく とし)

≪千≫ [訓]
"沢山"という意味でも、<萬>は10,000ではなく、とてつもないバラエティさを指摘する用語。<千>の方は単一な視点での数量的な多さを強調するという大きな違いがありそう。倭語の十進法の最大単位数詞は千ということになろう。千千が百万のイメージということなろうか。
【高千穗】
初降于高千嶺@序文 竺紫日向之高千穗之久士布流多氣 坐高千穗宮(x2) 即在其高千穗山之西也
【高千】
葛城之高千"那毘"賣
【千千】…濁音無しで"ちゝ"とするより、読み易さを考えると、"ちぢ"の方がよさげ。
春日之千千速眞若比賣 千千速比賣命 千千"都久"和比賣命
【八千矛】
八千矛神(x2)
【千秋+五百秋】
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(x2)
【1,000】
「千字文」一卷
千引石(x2)
負千入[能理]之靫 負千位置戶 作一千鉤 栲繩之千尋繩打延
令作横刀壹仟口
【1,500】
千五百之泉黃軍
【1,000 v.s. 1,500】
一日絞殺千頭・・・吾一日立千五百產屋 是以一日必千人死 一日必千五百人生也

数の多さと言っても、「古事記」には<億>という数詞は使われていない。数感覚と言うか、具体的な規模感が中華帝国とは相当に違っていそう。数量の細かなマネジメントは下位専門職業務という考え方だった可能性もあろう。そこらは、数字に矢鱈に細かい渡来人登用か。
  ・・・大將軍25人・・・裨將軍1,250人・・・校尉12,500人・・・候112,500人・・・士千3,500,000人 [「漢書」王莽傳下]
【高千里】
南屬蔥嶺 高千里 [「水經注」河水]
【萬有一千五百二十】
二篇之策 萬有一千五百二十 當萬物之數也 [「易経」繫辭上]
【千嶺】
秋風起函谷 勁氣動河山 偃松千嶺上 離雨二陵間
低雲愁廣隰 落日慘潼關 此時飄紫氣 應驗真人還 [徐賢妃:「秋風函谷應詔」]
【千秋】
今巫祝之祝人曰:「使若千秋萬歲」 [「韓非子」顯學]
【八千歲】
上古有大椿者 以八千歲為春 八千歲為秋 [「莊子」逍遙遊 「列子」湯問]
【千千】
仙菊含霜泛 聖藻臨雲錫 願陪九九辰 長奉千千曆 [薛稷「九日幸臨渭亭登高應制得曆字」@「全唐詩」卷93]

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