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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.1] ■■■
[793] 太安万侶:「漢倭辞典」「説文解字」の位置
字種と字体について触れて来たが、当たり前のことを確認しておきたい。どうあろうと、所詮は恣意的に決めた記号であり、創造と変化だらけにならない筈は無く、混乱を極めるのは至極当然。統治上不可欠なので、規格を決めただけの話である。ただ、その規格化に際しての知的レベルの差はとてつもなく大きいのは確か。しかし、それを語ったところでたいした意味は無いから避けた方がよかろう。

「古事記」は、有能な官僚を集めて編纂した書(公的記録に創造性発揮は禁忌であるから、曖昧化・削除・折衷表現が練られる。まさに英知のヘッショ卯。発揮されるだけ。)ではなく、太安万侶の署名責任編集である上に、情報出所もはっきりと書いてあり、一家言ありのプロであることは、漢文の序文から想像できよう。従って、その漢字選択眼から学べることは少なくない筈。ただ、その方法が思いつかない。

字書である。小篆(始皇帝制作統一文字)の基本9353字+異体字1163字を対象に、六書(指事 象形 会意 + 形声 & 転注 仮借)の視点で540(陰6 x 陽9 x 10)部に分類し造字と字義を解説。並べ方は、太元一の天から始めるドグマ系統であり、画数ではない。
例えば、木部とは木に関係する文字であり、ミクロでは、明らかに字義分類だが、全体の体系については一切記載されておらず、現代人には、部首グループのカテゴリー化にまとまりを感じ取りようがない。マクロでの分類方針は自明とは程遠い。

と言うより、実は、系統性は極めて緻密そのもので、感覚的字体類似性での分類と考えるべきなのだろう。(540部首系統図@がらんどう文字講座)もともとが、バラバラに展開してきた文字を強引に小篆に統一したのだから、その統一観とは1文字枠設定と"字体の見方"と看破して書き下ろしたことになろう。恣意的に見えるが、そうではなかったことになろう。(但し、その流れを検討しているとは思えないから、たまたまそうなっただけと解釈した方がよさそう。当代使用の文字と始皇帝制作統一文字を眺めて、文字源を推定する手法であり、図形認識論が無い状態だから、思い付きに近く、論理性は皆無。つまり、天子認定の大御所推定という以上では無い。現代でも、語源推定はたいていはそんなものが多いのだから致し方ないが。)
・・・「説文解字」成立時点では文字記載に於いては、画数とか細部のデザインは軽視されていたことになろう。"楷書"なる筆記文字の規格化で官僚差配構造を完成させた王朝の出現迄は、改竄可能性が無い限り画数そのものにはたいした意味はなかったのは間違いなさそう。「古事記」写本は当たり前だが楷書に則っているものの、太安万侶が画数を気にしていたとは限らないことになろう。
そもそも、「古事記」に於ける文字選定は「萬葉集」とは異なっているし、ほぼ同時期編纂の漢文国史の用例とは全くといってよいほど一致していないのだから、太安万侶は独自視点を確立していたと考えるのが自然だ。しかも、わざわざ用字統一を壊す箇所を設定したりと念には念を入れており、かなり頑固な主張ありと見た方がよさそう。
「説文解字」的な表面的図形類似性の視点は排除していると思われるが、文字構成要素の表意については重視しているのかも。つまり、指事 象形 会意で文字が成立していると考えていることになる。・・・言い方を変えると、常識化していたと思われる、形声については、字源としては疑問を持っていた可能性が高そう。
序文ではとりたてて語っていないが、文字論にも一家言あり、と思えてくる。
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📖「説文解字」部首一覧(当該頁の下部)
  _1巻-一 王 艸
  _2巻-小 牛 走・止・行・足
  _3巻-舌 言・音
  _4巻-目/鼻 鳥 骨・肉
  _5巻-竹 豆 虎 皿・食・麥
  _6巻-木
  _7巻-日・月 禾・黍・米
  _8巻-人
  _9巻-山
  10巻-馬・鹿・兔・犬・鼠・熊 火
  11巻-水
  12巻-耳 女 瓦・弓
  13巻-糸 蟲 土 男
  14巻-十干・十二支

字様書の帳参:「五経文字」@776年は160部と少ないが字形イメージ類似性配列。(木手牛亻彳宀穴目四貝月舟酉艹・・・)こちらの方が大雑把であるだけに、実用性が高そう。感覚的にはよくわからない類似性もあるものの。
言うまでもないが、白川静は、現代常識にも受け入れ易い主題別の系統を「漢字体系」の基本と考えていたようだ。
(e.g. 天象 季節 山岳 江河 方位 祭祀 言語 刑罰 農耕 神話 呪詛 戦争 宗教 氏族・・・)
これは多分に太安万侶的。
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許愼[58-147年]…許愼字叔重 汝南召陵人也 性淳篤 少博學經籍 馬融常推敬之 時人為之語曰:「五經無雙許叔重」為郡功曹 舉孝廉 再遷除洨長 卒于家  初 愼以五經傳說臧否不同 於是撰為五經異義 又作說文解字十四篇 皆傳於世 [「後漢書」儒林列傳]
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【個人的感想】漢字について、素人が触り始めると、未知な点が多いのでついつい面白いと思ってしまいがち。そうなると、おそらくキリがなくなる。しかし、いくら注力したところで、ほとんど意味は無かろう。・・・文字の種類(分類観)とか文字の形態(異字類縁)は、極言すれば、知的営為の人の数だけ存在しておかしくない。もともと、人間が創出した記号なのだから。しかし、それが社会的存在として扱われれば、コミュニティのなかで主流の文字が生まれるに過ぎまい。(もっとも、白川流だと、神権者の独占物として誕生という側面にハイライトが当たることになるが。)
その様な存在である以上、時代環境・地域風土・文字記載用具によって様々な変種が次々と登場するのは当たり前。本来的には、滅茶苦茶な状況になってしかるべきだが、だからといって、それは精神的混乱を意味している訳ではなく、正常な自由精神の発露と見なすべきと思う。
しかし、統治という観点では、それは即社会の混迷路線を歩むことを意味するので、規格統一化は必然ということになる。それだけのこと。


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