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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.3] ■■■
[795] 太安万侶:「漢倭辞典」当て訓
「古事記」は漢字訓を倭語(これを普通は"訓"と呼ぶ。)に当て嵌めることで、話語の文字表記化を実現した書である。一見、ゴチャに見えるが、筋が通っており、実によくできている。・・・
 【原則】
  漢字の漢語解釈[「漢訓」]としての語義認識
    ⇒漢字を表意文字として設定
     (別途、表音無用の文の機能表示文字も。)
      ⇒翻訳倭語[「倭訓」]決定
       ⇕このステップが画期的。
        ⇒当該倭語表記文字化
          ⇒漢字の倭語読み[「訓」]
 【例外1:倭語対応漢字欠落の場合】
  音仮名として漢字を使用(この考え方は別途。)
 【例外2:漢字が既に称号化されている場合】
  致し方ない場合は例外読みのママ@序文
       日下玖沙訶  多羅斯
  訓無き文字には俗の当て訓
       はた  あや
  できる限り倭訓読みを優先
       越(倭訓用文字) ⇔ [固有名称(2文字)]高志こし

漢字には、国・民・姓を表現する文字があるが、一種のシンボルマークであるため、それ以外の意味も用法も欠いている場合が少なくない。当然ながら、これに当たる倭語が存在している訳が無く、本来ならば「古事記」の地文で使われる道理が無いが、用例は散見される。
従って、その状況を確認すれば、上記の太安万侶の方針がわかると思う。
【秦/𥢮】__2
 (語尾"n"は後世発生)[呉音]ジン [漢音]シン [宋音]チン
 [訓]はた(n.a. 端田だろうか。)
又 秦造之祖 漢直之祖 及 知釀酒人 名仁番 亦名 須須許理 等 參渡來也
又 伇秦人 作茨田堤 及 茨田三宅

【周】__1(__1)
 [呉音]シュ/[漢音]シュウ/シウ
 [訓]まわ-る あまね-く めぐ-る
周芳國造
[序文漢文]コ跨周王
【漢/㵄】__4
 [呉漢音]カン
 [訓]あや(文) をとこ(男) から(唐) …東 漢やまとのあや 西 漢かわちのあや
漢直之祖
於是 倭漢直之祖 阿知直 盜出 而 乘御馬令幸於倭
爾 御調之大使 名云 金波鎭漢紀武 此人深知藥方 故 治差帝皇之御病
又 娶漢王之妹 大俣王

【唐/𡃯】 非使用
 [呉音]ダゥ [漢音]タゥ [宋音]タン
 [訓]から(from 海外)[⇒かろ] もろこし(諸越≒百越)
【吳/呉】_14
 [呉音][漢音]
 [訓](くれ-る)
亦來日夜者 入吳公與蜂室 且 授吳公蜂之比禮・・・故爾見其頭者 吳公多在・・・其大~ 以爲咋破吳公唾出 而
   …吳公=蜈蚣=
むかで
又貢上手人 韓鍛 名卓素 亦 吳服西素二人也
   …呉服=呉 織くれ はたおり(反物)
露坐吳床・・・以爲弟王坐其吳床 於其處立大御吳床 而 坐其御吳床・・・天皇坐御吳床
   …呉床くれ とこ胡床あぐら(椅子)
此時 吳人參渡來 其吳人安置於吳原 故 號其地 謂 吳原也
   …呉 人くれ ひと:南北朝期[439-589年]の宋・斉・梁・陳からの渡来人

【越】_10
 [呉音]ヱチ ヲチ [漢音]ヱツ
 [訓]こ-える こ-す/こし
越稻羽國・・・乃越三野國  卽 自其國越出甲斐  自其國越科野國  一時 天皇越幸近淡海國之時
故 u見畏以自山"多和"引越御船 逃上行也
當夕日者 越高安山
自當岐麻道 廻應越幸  初大后坐日下之時 自日下之直越道 幸行河內

⇔【[固有名詞]高志】≪高志之八俣遠呂智≫≪高志國≫≪高志道≫≪高志池君≫≪高志之利波臣≫≪高志前之角鹿≫ [歌#2]"故志能久邇"
【胡/衚】__3(__3) …北方〜西方諸民族名
 [呉音]グ/ゴ [漢音]
 [訓]えびす なんぞ
[歌#10]志夜胡志夜(x2) [歌#111]宇良胡本斯祁牟
【魏・晋・宋】 非使用 …「魏書」巻三十 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条、「晋書」武帝紀 太康十年条、「宋書」倭国伝に倭が記載されているものの。

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