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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.4] ■■■
[796] 太安万侶:「漢倭辞典」呉音=天竺音
音についてはしばしば取り上げて来たが、ようやくにして、<漢>音なる用語の意味するところが見えて来ると共に、太安万侶が仏教徒であるとは間違いない、と。考えて見れば、当たり前の話だが、なかなか気付かない。
その辺りについて。

結論を簡単に言えば、<呉>音とは、漢語に翻訳された仏典文字の読音を指す。・・・よく知られていても、それが本質と見ないことになっている。

確かに、それは中華帝国の一時期、とある王朝が用いていた音ではあるものの、梵語/サンスクリットの音を漢字で"音"表記したに過ぎない。しかし、倭国仏教徒からすれば、それは中華帝国言語の漢字音ではなく、釈尊のお言葉の音そのもの。決して、当該王朝の漢字音を墨守したい訳ではない。単に、天竺の言葉を当該王朝言語で一番似た音を当て嵌め表記しただけの"当て音"(漢語の仮名文字にあたる。)であり、漢字を覚えたいのではなく、その"音"を頭の片隅に置いておきたいだけ。従って、王朝が変わってしまい、当該漢字の読み音が変わったからといって、追随して変更できる訳がなかろう。今まで伝わっていた、釈尊のお言葉(話語)は間違いでしたとする訳にいくまい。
(唐代の在家仏教徒にとっては読経は個々人の自発的な日課である。現代的に解釈すれば、権謀術数に明け暮れる官僚社会のインテリとしてはそこにしか心のよりどころが無いといえるかも。一方、当代の儒教社会的感覚からすれば、読経のお蔭で生き延びれることができ、繁栄をも手に入れることができたことになろう。科挙社会なので、ほぼ暗記していたようだが、漢文の当代読みだったようだ。「古事記」成立期の日本にもその様な文化が入って来た筈で、漢字が読めない場合は代理読経人を要するが、そのうち暗記してしまうことになろう。その音こそ、まさに<呉音>。)

もちろん、100%漢音読み化されている経典も成立しているが、現地語翻訳経典で布教を進めていたキリスト教の真似と見てよかろう。仏教は、仏陀のお言葉そのものが経典であり、それ以外は解説書に過ぎないというドグマがある以上、この様な経典は例外。
そんな掟破りが生まれた理由は想像がつく。・・・いかにも儒教社会らしく、漢語仏典が偽書だらけになって来たので、その殻を破る必要ありと考える一派が生まれたと見ればよかろう。

と言うことで、<呉音>を名付けるなら、"倭流"天竺音である。
(太安万侶が、倭語が1拍母音語であることに気付いた切っ掛けを作ったのは、仏典読みのサンスクリット方式。これによって、倭語の最小発音単位は87とみなせることになった。五十音方式創出の端緒である。漢語をいくら学んでも、漢字が一意的な子音語の表音節文字である以上、それに気付くことなどありえ無い。言うまでもないが、"韻母" なる概念はサンスクリット理論で初めて子音の存在を知った中華帝国官僚の表面的物真似。中華帝国が生み出した文化としたかったようで、官僚統制的な韻の細緻化に全力投球することになったのは御承知の通り。)

一方、訳のわからぬ命名が<漢音>。

おそらく、日本国が認めた、漢字の公定音ということでの名称だろうが、ほぼ唐王朝期の読音。(漢王朝代の音などわかる訳がない。)従って、小生は<唐(代)音>としたいが、唐王朝崩壊後の全く異なる社会での音をよりもよって、古からの慣習であると称して<唐音>と呼び続けることになっているのだからそうもいかぬ。こまったものだ。

と言うことで、太安万侶が、漢字を倭語の1拍音表記文字、つまり仮名文字として使う場合、原則呉音、つまりサンスクリット音の表記用の漢字を用いたのは、至極当然の方針といえよう。

太安万侶は、倭語が1拍の母音語であることを認識しており、音節記号化している漢字で倭語を表記するのは無理があることを理解していたから、倭語の漢字表記化の方法論は1つしかないと判断したということでもある。
(しつこく繰り返すが、漢字は子音の音節文字。倭語は、発音最小単位が子音修飾ありの1拍母音なので、漢字1文字を、倭語の1拍音に当てること自体に無理が生じて当たり前。一方、サンスクリットは音素が剥き出しで表示されるので、その音に一番近いと認定された漢字であれば、母音の1拍語類似音と見なすことができる。)

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