→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.9] ■■■ [801] 太安万侶:「漢倭辞典」◢ 【 【 語源的には「さかい⇒さか」とされているようなので、そんなものかと思っていたが、漢字の全体観からすると、この手の名詞の拍数減少の理由が考えずらい。しかも、3拍語の方が基本語彙だった可能性は低そう。従って、流れは逆かも。この3拍語は、複合語化してから省略されたと見たがしっくりくるからだ。「さか+○○⇒さか△△⇒さか-い」と考えればよかろう。 一方、漢語だが、「阪⇒坂」らしい。そうなると、高台にある邑の道という字義が、一般的slope交通路へと拡張されたことになろう。境は、統治が及ぶ領域の端を意味しており、坂とは、概念上繋がりがある訳ではなさそう。 こう考えれば、なんのこともなし。 「古事記」上巻には南海海神宮への海坂を塞ぐとの用例があるから、倭語<さか>には異界との交流路との意味は間違いなくある。原初語としては、語義が"分ける"との動詞を考えるのが自然。・・・ 中巻に入ると、固有名詞と○○の坂という2通りの書き方の地名として登場する。(ついでながら、ひら坂・おほ坂は、一般名詞と思われる。)それらの坂には神が存在するようで、関所的な場所でもあるのだろう。 ---㊤--- <伊邪那岐命・伊邪那美命> <須佐之男命・大~大穴牟遲~> 故爾 追至黃泉比良坂 遙望呼謂大穴牟遲~曰: 「其汝所持之生大刀生弓矢以 而 汝庶兄弟者追伏坂之御尾 亦 追撥河之瀬 而・・・」 <豐玉毘賣命> ---㊥--- <~倭伊波禮毘古命> 自其地幸行到 <意富多多泥古命@御眞木入日子印惠命> <服腰裳少女> 山代之 <日子國夫玖命> 於 <本牟智和氣御子+曙立王・菟上王> 自 那良 戸 遇跛盲 自 <倭建命> <忍熊王 v.s. 建振熊命> <品陀和氣命> 以御杖打 <@#43歌:この蟹やいづくの蟹> 和邇佐能邇袁(丸邇坂の土を) ---㊦--- <伊邪本和氣命> <@#77歌:埴生坂吾が立ち見れば> 波邇布邪迦(埴生坂) <@#78歌:大坂に遇ふや乙女を> 於富佐迦邇(大坂に) <大長谷若建命> 自日下之直越道 幸行河內 爾 登山上・・・//・・・行立 其山之坂上 ---御陵在--- 片岡馬坂上 伊邪河之坂上 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |