→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.24] ■■■
[815] 太安万侶:「漢倭辞典」副詞圧巻🇹🇷
[ご注意]"副詞圧巻"は素人論なのでそのおつもりで。
副詞については、概念が一致しているとは思えないものの、口誦叙事の倭語も現代英語も似た様なものか、というのがとりあえずの結論だが、たいして考えもせずなので、古文の文法を眺めておくことに。・・・

❶ 状態(⇒情態)の修飾語…時間・頻度 etc. 擬声・擬態
  e.g. かく やがて つひに すなはち とく やがて
     ほのぼの-と うらうら-と ほとほと-と
     やうやう(-と) はるばる(-と) うた(う)た(-と)
     ちつと つつと (-り)

❷ 程度の修飾語
  e.g. いと すこし すこぶる はなはだ ますます
     あまた いと よに  いささか いよよ

❸ 陳述機能語(incl.呼応…受ける語に一定の言い方を要求)
 ① 打消・打消推量の助動詞に接続
  <"決して"型>[あへて・いさ・いまだ・さらに・つゆ・よも → ず・じ・まじ]
   え〜ず  つゆ〜ず よに〜じ
   不可能[え → ず・じ・まじ]
   推量[いかばかり・さだめて → む・むず・べし]
   当然[すべからく・まさに → べし]
 ② 禁止を表す語に接続
  [な・ゆめ → そ・な]
   な〜そ
 ③ 疑問や反語を表す語に接続
  [いかが・いかで・いかに・など → む・べし・か]
   疑問
   いかで〜や
   反語
   いかに〜か
 ④ 希望・意思・願望の助動詞に接続
  <"もし(できれば)"型>[いかで → む・ばや・もがな]
   意思
   いかで〜む
 ⑤ 仮定を表す語に接続
  <純"もし"型>[たとひ・もし・よし → とも・ば]
   たとひ〜とも
● 現代語には上記分類に該当しそうでもあるが、よくわからない語彙も含まれていそう。
  <特定詞(こそあど)…指示>
  <"あたかも まるで"型><"どうぞ ぜひ"型>等

副詞は、意味なき接辞類とは違って、語義があり、意味を詳細化する働きをしている。さりとて活用は絶対にしないので、動詞類の装飾語と見なすのは自然な姿勢。一種の名詞による動詞修飾的語彙と考えることができるからだ。
しかし、同時に、名詞修飾、名詞句修飾、文修飾機能も並列しているとなると、そう考えることは無理。

【叙述部】+【名詞句】+【文外独立語】という文章構造ではなくなり、基本文法に制約されない【挿入語】を別途組み込んでいる言語と解釈せざるを得ないからだ。これでは、柔軟どころではなく、掴みどころが無い文法ということになってしまう。簡素で修得し易いとは見かけだけで、例外的に覚える文型が多々ある複雑な言語ということになろう。(助詞の<係り結び>も本居宣長が初めて気付いたらしく、その様な例外表現が多かった可能性もなきにしもあらず。)

"ヒッタイト語は屈折語であるにもかかわらず倭語との類似性が見られるので、言語一般の変遷という観点で考えれば、倭語読みの参考になりそう。"と見たが、こと副詞に関しては、それとは正反対。反構造化と規則的活用の道を選んだというに、その流れに抗するかの如く、独自性を相当に盛り込んでいることになる。

「古事記」成立時、倭語を国家のアイデンティティにしようとの思想があったとも思えないから、かなり複雑な言語習慣を"墨守" する集団がいたことを意味していそう。漢語やツングース語系ではなさそうで、出自想定は難しそうだ。
ただ、ヒッタイト語同様に、参考になる言語は存在している。

オスマン語(表記文字は表音だが、母音表記を嫌うアラビア文字なので表音機能不全。全語彙丸暗記しかない。)である。(アルファベット表記の現代トルコ語と話者は継続性があるものの、言語そのものは継続的とは言い難いのでお間違いなきよう。)
大帝国の公式言語であるが、その中味は外来語彙だらけだそうで、解説内容からするとアラビア・ペルシャのピジン語に近い。(特徴はスタンダードが無い点なので定義上はそう呼べない。)
このため、主語を明確にする必要がある構造文型言語だが、倭語と同じSОV型の膠着語。語彙的には、<名詞⇔形容詞⇔副詞>+<動詞>という構造になっている様に見え、<主述語(動詞活用)-名詞句(末尾助詞)>構成な点が倭語とよく似ているものの、副詞の位置付けが違っている。
名詞を述語にして詳述することが多い言語なのだろうか。そうだとすれば、動詞を述語にする場合の動詞ならではの表現との二本立ての混淆かも。
・・・もともと<動詞の主述語>+<名詞句>だったところに、名詞構造文の印欧語を組み入れたので、スタンダードな文章を決めることができなかったようにも思えてくる。

よく知られるように、オスマン帝国は科挙的制度をベースとした官僚統治で強大な力を発揮してきた訳だが、公用語による一元支配でなく、多言語*・多宗教国家だった。そんな国の公式言語がピジン的なのだから現代人にはなかなか理解し難いところがある。・・・
支配層内言語(トリリンガル/アラビア文字):
  オスマン語(王家・公用語)
  アラビア語(コーラン・高級口語)
     …アラビア語という現代口語は無いと考えるべき。

  ペルシア語(行政・学問・文学語)
準通用言語[正教]:
  ギリシア語(独自文字)
    …クアッドリリンガル王も存在したとされる。

   バルカン諸語(アルバニア ルーマニア セルビア クロアチア)
他の主要言語:
アルメニア語[教会](独自文字)…虐殺も発生している。
ヘブライ文書語+日常イデッシュ語[ユダヤ:5割在住地はイベリア半島↓]
 ラディノ語[セファルディム](ディアスポラ)
クルド語 ベルベル語
マジャール語 ゲルマン語
】トルコ共和国建国(@1923年)直後に革命的"言語改革"が推進され、ラテン文字表記になり、アラビア・ペルシャ語彙とそれに関係する文法の一掃が図られた。
朝鮮半島での1443年の訓民正音と似たナショナリズムの動きだが、こちらの内実は、属国だった過去の漢語資料一掃(この時代以前の資料を対象とした完璧な焚書)と在留漢人一掃が貫徹されただけ。その後、ナショナリズムを煽るためのハングル書が多数刊行されたものの、儒教国なので、支配階層の漢語体制を変えることは避け続けた。(ハングルは漢字の表音表記文字の位置付け。)朝鮮併合時点では、漢文は支配階層の真文であり、ハングルは下層の諺文とされていたのは間違いない。おそらく、軍事的支配の観点で、ハングル化が強力に推進されたであろう。
*】表現の自由が存在する社会は本質的に多言語的にならざるを得まい。しかし、それは意思疎通困難の弊害も招くことになる。従って、同一話者コミュニティの規模はそれに耐えられるレベルで落ち着くのが自然の姿だろう。しかし、実際はそうではない。この現象を、乱立言語コミュニティ世界に統治-被統治の支配構造が持ち込まれると、為政者により言語統一が図られていくという言語ナショナリズム図式で説明されてしまうことが多いが、宗教的寛容を国是(名目ではなく)とする場合は当てはまらないことがわかる。


 (C) 2023 RandDManagement.com  →HOME