→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.10.5] ■■■ [826] 太安万侶:「漢倭辞典」🇯🇵↬↬↫ ただ、それは、倭語には文構造を規定する文法が欠落しているということを意味している訳ではない。単に、<主語名詞-述語動詞>という基本構造を墨守していないに過ぎない。その究極を追求したいるのが漢語ともいえよう。 {<S>+<V>+<О> & <accessories>}が1段目で、 <S>=<[pre-s]+[core-s]+[post-s]>等が2段目、 という階層構造の文法だからだ。その気になれば、さらに深くも表現できるコンセプト。 印欧型は、{文}と{文}の入れ子を登用しているため、緻密な構造言語とは言い難い。仮主語の様にそれ自体に何の価値も無い無駄な表現様式を加えることで、構造文の原則からの逸脱をどうにか防いでいる訳だ。 倭文はその流れから外れている言語なのははっきりしている。 しかしながら、文の構成原理については、厳格な文法がある。しかも一番単純でスマートと言っても間違いではない。(但し、現代日本語文法の如く<主語名詞-述語動詞>の表現様式として規定すれば、その考え方はまったく通用しなくなる。) 倭文の文法には一本筋が通っており、それは、主述動詞部に連なる単純な一直線言語形式を土台にするということ。<S>から始まるというドグマは存在していない。・・・<S>の規定句は、「古事記」には存在しないと考えた方が文章を理解し易い。 倭文の頭は、<S>ではなく、あくまでも主題提示句。それが主語に見えることも多かろうが、それは結果でしかない。ここで重要なのは、すでに前の文で、主題が提示済みなら、次の文で再度表記する必要はないという点。いわば副題が提示されるだけ。 <S>を省略しているとの気分でこの文章を解釈すべきではない。それは印欧語や漢文に合わせた見方。主語が前文と同じだと省略と考えたくなるのは致し方ないが。ポイントは、主語が異なる文の方。副題が提示されているなら、主語は自明だから表記しないことが多い。その方が冗長にならず心地よいから話語なら当たり前。 ・・・頭の中で構造文を構築しないと意味が解らない言語とは異なり、極めてわかり易い。しかも、自動的に段落的な文章の塊が出来上がる訳だから、主題提示の前に、前段落との繋がり方を示す語を入れれば、その主題の意義も見えてくることになる。よくできたシステムだと思う。 {主題提示文}+{(接続語)+副題提示文}xn 要するに、話語だから、細かな文法に気をとられたりせず、のんびりと長々と語れるように設計されていると見てよかろう。文末までしっかり聞かないと意味がわからない文法になっており、相手の気分を推し量りながら語れるようになっているとも言えそう。 {<私>は<〜する。>}という自己主張型の文章で語ることが稀な社会だったことを意味していると考えることもできよう。 倭語は一直線構造(↬↬↬↬↬↫)の、 {<前置【名詞句】群>+【叙述部】} ということになる。 たまに後続句の入れ子になってしまう名詞句もあるが(文節構造は存在しないということ。)、すべての【名詞句】が【叙述部】に係っているという単純明快な表記。 しかし、表現技術が単純という訳では無いので、そこらは別途。 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |