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■■■ 「古事記」解釈 [2024.3.12] ■■■
🔰[839]読み方[12]

気になったので書いておこう。

「古事記」の解説は山の様にあるようだが、その思想性がどうあれ、本居宣長的な頭の使い方をしているのが特徴。

要するに「私はこう考えたい。」という書き方。対象が最古の書であるから、参考情報を欠き、致し方無いと云えばその通りだが、問題だらけであることが多い。

どうしてそう考えるのか、せいぜいがスローガン的な思想を述べるだけなので、全く不明な場合が多いし、その考えならココはどうしてそう読めるのかという疑問(高揚している本人は言われても全くわからぬだろうが、支離滅裂的見解に映る。)を覚えても、解答の手がかりは何も書いていないからだ。
(典型的な「私はこう考えたい。」的な本居宣長の記述としては、少名毘古那~段。伏羲より遙かに古い時代の存在とし、万国みなこれに準じ、疑うべきではない、と迄。よくある、大御所の強引な見解披歴として通り過ぎるレベルを遥かに超えている。この神が"万国"を経営堅成と見るべしというのだが、万国どこであろうが、少名毘古那~の類似神話など聞いたことなどない。)

ただ、間違ってはこまるが、どう見ても「古事記傳」のメインは、この手の「私はこう考えたい。」ではなく、詳細で膨大な単語分析。江戸期の本なので、情報不足や想像箇所も沢山あるだろうから、これを読破したいという気は無いが、類書が無い以上、断片的利用はことの他便利だろう。

・・・と言うことで、"解説"の類を読むのは程々に。


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