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■■■ 「古事記」解釈 [2024.3.31] ■■■
🔰[846]読み方[19]

「古事記」と「国史」は同時代書で内容類似なので、相互参考にしてしまいがちだが、避けるべき。書としての違いを、自分なりに概念的につかんでからでないと、「古事記」を読み取れなくなると心した方がよいと思う。特に、語彙レベルなら、なんらかまわないだろうとの見方には何の根拠もないことに注意を払うべきだと思う。(両者は、同義同音と思われる単語を敢えて異なる漢字を配している位で、類似だから同一と考えるより、何らかのメッセージ性があるからこそ恣意的に文字を変えていると見なすのが自然。)

両者を峻別しないのは、「古事記」を歴史書とみなすから。(換言すれば、歴史書という概念を曖昧にして、その場その場で都合の良い解釈をしていることになろう。)

その辺りの頭の整理をするためには、後世の書ではあるものの「水鏡」@推定1195年頃を一読されることをお勧めしたい。この本のジャンルは<歴史物語・・>とされているからだ。
よく知られているように、4鏡(成立順は大→今→水→増。)で一揃いになるように設定されている。このため、ジャンルは確定している様に映るが、実は概念的には極めて曖昧。そこらを考えるのには打って付け。

さて、この「水鏡」だが、初代神武天皇〜仁明天皇の期間を"薄く"一望できるように編年体で記載している。(時系列的に繋がる「大鏡」@推定1086-1123年は紀伝体。)その実態は仏教視点の漢文国史の「扶桑略記」から抜粋し翻訳和文化しただけとされている。しかしながら、その記載内容はかなり特異的で、叙述技法によるお化粧版国史とは言いかねる。
・・・政治的に重要な事績を無視することが多い上に、軍事譚を極端に敬遠していることもあるし。さらに、オマケ的に仏教事績云々の文が段末に加えたりする。従って、皇位継承や主導権の争いをどう見るかという問いかけが、執筆者のテーマである可能性もあろう。
引用元表記に徹しており、100書程度が記載されているとのこと。

とはいえ、現代感覚なら、日本史の最低限の知識(皇統譜)を得るためのアンチョコ的歴史本以外のなにものでもない。たまたま、比較的長文の序が、口誦の"お話"が源泉であるとの創作文なので、<物語>とみなすことになるだけと言えなくもない。
同様に、序文で解釈するなら、「古事記」は、真正を目指した<皇族・臣下の血脈がわかる神統譜・皇統譜>となろう。

ともあれ、小生は、「水鏡」を、「古事記」同様、歴史書とみなすべきでは無いと考える。
どちらも、"歴史題材物語風"に映る皇統譜であり、それを<歴史>と呼ぶべきではないと言うに過ぎぬが。
物語調*という意味にしても、語り部的伝統を受け継いでいることを示しているだけと言えなくもない。
・・・長谷寺に厄年参籠した老尼が、出逢った若い修行者との夜話で、一昨年に葛城修験道霊場で老仙人から聞かされたことを書き記したとの体裁。「大鏡」以前を対象としているものの、神代のことは憚りがあるので、記載しないとのこと。
*仏教の範疇での物語であることに注意。現代日本仏教は戒律の存在が一般人の目には見えず、ほとんど風習的になっているので理解し難いかも知れないが、信仰で第一義的に重要なのは戒。この様な書の執筆者は"妄語戒"遵守のために必ず伝聞経緯を示さざるを得ない。このため、「水鏡」では、葛城仙人的存在→長谷寺修行者→参籠老尼(備忘録)→執筆者という長いコースになっている。

「水鏡」は、~統譜・皇統譜の書である「古事記」の性格を受け継いでいることになるが、違いもある。万世一系の記述のみで、傍系や臣下の血脈については無視しているからだ。しかも、著者署名は無く、書の対象読者とその目的について推定できそうな記載も見当たらない。そうなると、物語風記述ということは、1個人の考えで編纂していることを意味しているだけとも言えそう。そうだとすれば、執筆理念は似ていそう。
しかし、なんといっても表現技法に対する拘りがあることが最大の類似性と言えるのでは。
・・・国史と違い、非漢文。漢語や仏語を用いた仮名書き和文。(もっとも、「古事記」とは大きく違って、現代の学校古文の知識があれば読めるレベル。)

皇統譜に限ってみれば、「古事記」感覚と瓜二つ。というか、「古事記」の精神をママ表記したことになろう。
・・・飯豐天皇の段が設定されているからだが。
当然ながら、政治背景を示唆していると思われる婚姻譚の類は一切排除。もともと、煩悩の素とも言えそうな、歌垣的婚姻関係について肯定的ではないせいもあろうが。

但し、「古事記」と違って、皇位継承時の背景的政治力学を暗示させないよう配慮されている箇所が多い。逆に、無常感的結末を迎える、直截的な御子間の皇位争奪譚は掲載しているところが一大特徴と言えよう。
・・・段頭記載パターンが異なり、宮名や御子一覧は不記載。
    第XX(代)□□天皇〈XX年X月XX日崩 (統治)年XX 葬▽▽國△△陵〉
     ◇◇天皇も第X御子 御母の皇后○○
   東宮=立太子年を記載。

重要部分で大きく異なっているから、「古事記」の延長線上の書という訳ではない。
○神武天皇段・・・東征譚は欠落。([兄]五瀬命は非記載。)
○崇神天皇段・・・初國之御眞木天皇のイメージは無い。
○景行天皇段・・・御子王大勢との記載無し。倭建命登場せず。
○仲哀天皇段・・・景行天皇御子 日本武尊の記載。

それが、全面的引用であろうとなかろうと、執筆者の思想が打ち出されている書であると云えよう。
・・・例えば、皇后が兄に従い殉死せず、兄を棄てるとなれば、天皇の評価は一転してしまう。さらに、多くの段で、仏教事績を加えている点も違いを際立たせている。これがある故に、「古事記」とは無縁な印象を与えることになる。

尚、1行でしかないが、序で、新時代の息吹を感じさせる歴史観を披歴している。
・・・古へを褒めて今を謗るべきに非ず。

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「水鏡」

卷上・・・【一】神武天皇〜【十四】仲哀天皇・【十四+一】神功皇后・【十五+一】應神天皇〜【廿二+一】C寧天皇・【廿二+二】飯豐天皇・【廿三+二】顯宗天皇〜【廿九+二】欽明天皇
卷中・・・【卅+二】敏達天皇〜【卅三+二】推古天皇・【卅六】舒明天皇〜【四十七】孝謙天皇〈天平勝寶八天平寶字二〉
卷下・・・【四十八】廢帝〈天平寶字六〉〜【五十五仁明天皇】〈承和十四嘉祥三〉

「大鏡」
序 帝紀(文徳天皇嘉祥3年[850年]〜後一条天皇万寿2年[1025年]) 列伝


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