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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.25] ■■■
[869]読み方[39]
「水鏡」の聖徳太子の段構成のスタンスを眺めていると、「古事記」下巻の全体構成が分かってくる。

すでにとりあげたように、「水鏡」に於ける、全面的聖徳太子譚に近い箇所(欽明]→[敏達→用明→崇峻→推古)とは、国家体制の革命的変革期を示していることになる。太子がその変革を成し遂げた革命家とは呼べないが、仏教国化という意味での大転換の立役者であるのは確か。従って、仏教視点ではどうしても、こんな記述になってしまう。
冷静に見つめれば、この変革は、宗教とは関係がなく、その開始時点は"継体"代。そして、"推古"代初期にほぼ完成という流れ。・・・この期間は、お気付きだと思うが、「古事記」の無事績箇所(㊦🈝)にあたる。言うまでもないが、切っ掛けは≪竺紫君石井≫。

それでは、その前の段構成はどう設定されているかだが、「水鏡」はのっぺりとした順次構成に映る。これに対して「古事記」は{㊥-㊦}という巻替えで明確に時代の切れ目を提示している。ここはなかなか面白いところ。・・・ 巻を挟む形で、建內宿禰の存在にハイライトをあてているからだ。国際的大変動のなかで、天皇の威光で、諸勢力を纏め上げる力量ある、御側の忠臣による政治が奏功したことを描いていることになろう。

しかし、太安万侶的には、その繁栄の元は渡来者活用にありとしていると思われる。㊦🈜冒頭の聖帝段では、僅かな土木工事の記載だけだが、交易港と水路や灌漑施設が飛躍的に強化される時代が始まり、国富は膨大になったことが示唆されていると云えよう。国力は高まり半島からの朝貢も当たり前に。
「水鏡」【第二十代】允恭天皇
  四十二年おはしまししに、帝、亡せ給ひにしを、
  新羅より年毎の事なれば、
  船八十に様々の物を積みて、樂人八十人相副へて奉りたりしに、
  帝、亡せ給ひにけりと聞きて、泣き悲ぶこと限りなし。
  難波の津より京まで、この貢物を持て續け奉りおきて歸りにき。
  この後は僅に船二つなどをぞ奉りし。
  又、怠る年々も侍りき


しかし、「古事記」は、「水鏡」のように、聖帝から何代か経て聖徳太子の時代に入るという見方をしている訳ではない。大長谷若建命/雄略天皇から時代が変わっていることを示していると言ってもよかろう。渡来技術導入で国力が飛躍的に伸びた謳歌の時代も一服。渡来人の国内定着化で、さらなる経済的発展を図る方向に進むことになる。換言すれば、半島との関係は二義的に。極めて内向きの視点で国力強化がなされたことになる。しかし、半島の様な儒教的な天子-官僚統制への道を歩んでいないから、臣下の力の強大化は避けられない。これが、大長谷若建命/雄略天皇〜小長谷若雀命/武烈天皇期の皇統上のゴタゴタをもたらすことになる。
とはいえ、渡来系の入植や産業勃興で、経済的には潤った時代だったと云えそう。・・・
「水鏡」【第廿五代】顯宗天皇  この御時、世治り民安らかに侍りき

「古事記」が蘇我氏について触れようともしないのは、頭に残っている日本史を想うと、異常という気になるが、ここらを考えるとわざわざ描く必要も無いということでもあろう。巻末は小治田宮天皇であり、いかにも耕作地不適に見えた飛鳥地区が一変することで、新たな富が集積されることになった訳で、そこに至る皇統では蘇我の血脈が見てとれるからだ。
ただ、そこらの系譜を丹念に記載してはいるものの、過度に目立つ書き方にはしていない。天武天皇の血脈からすれば、蘇我系はあくまでも傍流であり、両立させるような記述をする訳にはいかないのは自明。

│___「水鏡」___││___「古事記」__│
│_________│┌───㊥🈜─────
│_________││❶~倭伊波禮毘古命
_________│ 
__神武天皇__││ 
_________│└─────────────
_________│┌───㊥🈭─────
__綏靖天皇__││❷~沼河耳命
_________││ 
__開化天皇__││❾若倭根子日子大毘毘命
_________│└─────────────
_________│┌───㊥🈝─────
__崇神天皇__││❿御眞木入日子印惠命
_________││  …初國之御眞木天皇
│十四_仲哀天皇__││⓮帶中日子天皇
│十五_神功皇后__││△大后 息長帶日賣命
_________││  度幸新羅國
│十六_應神天皇__││⓯品陀和氣命
_________││  百濟國主貢上
_________││  天之日矛參渡來
_________││↓ 大雀命與宇遲能和紀郎子
_________│└─────────────
_________│┌───㊦🈜─────
│十七_仁徳天皇__││⑯大雀命/聖帝
_________││  作池堀江(秦人)
_________││  (奴理能美)
│十八_履中天皇__││⑰[子]伊邪本和氣命
│十九_反正天皇__││⑱[弟]水齒別命
│二十_允恭天皇__││⑲[弟]男淺津間若子宿禰命
_________││  有一長病
_________││  …此時新良國主貢進御調八十一艘
│廿一_安康天皇__││⑳[御子]穴穗御子
_________│└─────────────
_________│┌───㊦🈭─────
│廿二_雄略天皇__││㉑大長谷若建命
_________││  呉人參渡来
│廿三_C寧天皇__││㉒[御子]白髮大倭根子命
│廿四_飯豐天皇__││ 飯豐王
│廿五_顯宗天皇__││㉓[伊邪本別王御子市邊之押齒王御子]
_________││    袁祁之石巢別命
│廿六_仁賢天皇__││㉔[袁祁王兄]意冨祁王
│廿七_武烈天皇__││㉕小長谷若雀命
_________│└─────────────
_________│┌───㊦🈝─────
│廿八_繼體天皇__││㉖袁本杼命
_________││  竺紫君石井
│廿九_安閑天皇__││㉗[御子]廣國押建金日王
│三十_宣化天皇__││㉘[弟]建小廣國押楯命
│卅一_欽明天皇__││㉙[弟]天國押波流岐廣庭天皇
___聖徳太子_││
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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│卅二_敏達天皇__││㉚[御子]沼名倉太玉敷命
____聖徳太子_││
│卅三_用明天皇__││㉛[弟]橘豐日命
____聖徳太子_││
│卅四_崇峻天皇__││㉜[弟]長谷部若雀天皇
____聖徳太子_││
____蘇我大臣暗殺天皇││
│卅五_推古天皇__││㉝[妹]豐御食炊屋比賣命
____聖徳太子_│└─────────────
│卅六_______
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