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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.28] ■■■
[872]読み方[42]
「水鏡」は仏教観点を付け加えた初代天皇からの皇統譜記載書だが、それ以前については記述を避けてはいるものの、一応、触れている。・・・
  先ず、神世七代。
  その後、伊勢太神宮の御世より、顱草葺不合尊までが五代。
  合わせて十二代の事は、言葉に表して申すのも畏れ多い。


「古事記」の冒頭と、出雲王朝譚については無視を決め込んでいると言ってよさそう。
      ①造化三~ ②別天~
   ③~世七代
      ㋜ 速須佐之男命
      ㋔ 大國主~
   ㋐ ㊀天照大御~・
     ㊁太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命
   ㋥ ㊂天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命
   ㋭ ㊃火照命
   ㋒ ㊄天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

流石、仏教インテリ。
天皇系譜をたどる書だから、万世一系を明確に記述することに心血を注いでいればこうなるという好見本。

血脈の最上流へと見て行けば;~世七代しかない。もちろん、それを継承するのが天照大御~とその子孫の合わせて5代となる。造化三~を含む別天~5柱をその先代と認定できる根拠はないからだ。

当然、冒頭の神々を神統譜に取り込む訳にはいかないし、速須佐之男命の系譜も傍流に当たるので無視扱いが妥当となろう。

この姿勢で記述するなら、系譜書である以上、天照大御~の対偶は速須佐之男命と明確にするしかなかろう。つまり、天照大御~の父は伊邪那岐命で母は伊邪那美命。天忍穗耳命の父は速須佐之男命で母は天照大御~と記載されることになる。
今も昔も何ら変わらぬ、という合理主義を貫くなら当然の帰結で、速須佐之男命譚や出雲王朝譚の記載を恣意的に避けている訳ではない。

太安万侶は、その様な立場ではなく、伝承口誦叙事をママ伝えることに意義を見出しており、様々な譚を整理して神統譜を作りあげることに、ひたすら注力しただけ。おそらく、収録していない伝書譚は数々あるものの、想定される時代の流れに沿った大胆な編集を行ったに違いない。つまり、上巻は太安万侶の洞察力に基づく作品とも言えそう。
こうした伝承口誦叙事は、部族時代の祭祀に於ける神統譜-王統譜の詠唱を彷彿させるものがある。時宜に応じて、短いバージョンにしたり、何れかの事績をピックアップするなどして、厳かな場ではあるものの、参集者にとっては部族の紐帯を感じさせるエンターテインメントでもあったろう。(神話とは、その様なものであり、それを抹消することで社会安定化を図りたい儒教精神とは真逆。)
国家にとって絶対不可欠な、儒教的官僚制構築の流れのなかで、「古事記」はその文化を継承すべく執筆された書ということになろう。

従って、現代口語訳にするなら、その息吹を感じさせる文体に換える必要があろう。
しかも、五七のリズムで、濁音僅少化等々、表現上の工夫も施すべきなのは言うまでもない。
詩人でないと、これは難しかろう。

換言すれば、国史ではないから、粗筋を読む価値はほとんど無いということでもある。
それよりは、「今昔物語集」的に、部分的に、神話や事績をピックアップして、断片的に味わう方が良いと思う。もちろん、それは「古事記」読みから外れてしまうことになるが。


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