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■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.4] ■■■
[878]読み方[48]
「古事記」では、仏教について全く語らいれてないが、その理由についてのどの様に議論されて来たのか、レビュー的な記述をみかけないので、よくわからない。
しかし、読むに当たっては、そこらの見方を頬かむりする訳にもいくまい。

すでに述べたように、下巻は儒教的天子独裁国家に向けての流れを描いている訳で、そのなかでの皇位継承はどの様になっているのかを垣間見せる記述になっている。
"からごころ"排除という姿勢で編纂している様には、とうてい見えない。

そうなると、舒明天皇以後は別だが、それ以前は宗教的な意味での仏教思想の皇位継承に対する影響はほとんど無いと言えるとの見立てということでは。
そうとでも考えないと、推古朝での憲法十七条制定だけは、皇嗣選定に当たっての方針を示すものでもあるから、特例的に記載してもよさそうに思うからだが。・・・記載不要と云うことは、聖徳太子の活動は多分に教学的であって、現実政治から遊離していたと評価した言うことか。
後世の奈良仏教はその流れをママ引き継いでいるように映る(「今昔物語集」の仏教史)からだが。

太安万侶の眼から見れば、太子は極端な理想主義であり、周囲の雰囲気は渡来人活用の現世利益実現でしかなく、教義に関心は薄く、実利が期待できる蕃神(仏像)を祀る風習の取入に忙しかっただけなのでは。

儒教型の帝による絶対独裁の政体たることを宣言している一方で、執着を捨て去り空を実現すべきとの仏教理念を追求しており、自己矛盾状態。前者を貫徹するには、法的強制力によって服従させる統治システムが不可欠。それはモットーとして掲げている"和"の政治とは対極にある仕組み。帝が菩薩戎を受ければ、矛盾は発生しないとの超理想論。

【センスを磨く上でのお勧め】自分の、古文の素養のなさを嘆かないこと。「古事記」の場合、どこであろうと、正解がはっきりしていないのだから、読みを間違ったところで、たいした問題ではない。重要なのは、個別分析的な頭の使い方をできる限り避けること。習い性になっているから難しいが。
予め、「今昔物語集」を全巻通してお読みになっておくとよい。長いので、現代訳の速読がよさげだが、たとえほんの一部であっても省略版ではないことの確認は不可欠。註には期待しない方がよい。さらに、恣意的な訳があることを前提として読んだ方がよい。(本朝篇には仏教説話と云いかねる話満載なので。当サイトでもその辺りは取り上げている。)
「水鏡」は推古天皇迄を読むことになるが、記述は極めて簡素なので、当サイトのものでも十分。但し、物語化させるための序文だけはよくよく味わった方がよい。・・・「古事記」全巻に目を通した後、序文(漢文)をじっくり読んでから手をつけるのがよい。



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