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■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.7] ■■■
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「古事記」は、ベースはあくまでも、天武天皇が覚えていたことを書き留めた書なので、その記載内容をすべて信じるのには無理がありすぎるが、存在しない天皇だらけと考える風潮にはついていけない。後世制作のフィクションであると見なす訳でもないのに、伝承皆無の話を突然にでっちあげることが簡単にできるとはとうてい思えないからだ。

小生は高校生時代和辻哲郎全集を少しづつ読むことを日課としていたので、その古代文化観に少なからず染まっているが、神武東征とは北九州にあった邪馬台国の東遷との和辻流見方は、「古事記」の構成から考えると、現時点で納得感ゼロ。
東征決断と完敗時の言葉からすれば、太陽が生まれる地への憧憬が存在していたのは間違いなさそうだが、だからといって、字面通り、それで東遷に踏み切ったとの理屈には飛躍がありすぎる。長男が養育された地から自立を目指して出立すること自体は島嶼の母系制社会では普通の風習だが、末子だけは残って母系制コミュニティ護持を図るのが一般風習だろうから。
風土論はいい所を突いていると思うが、欠点も小さなものではない。論理性を欠いているのに気付かず、情緒的説明に留まりかねず、地震は気付かないものの。ほとんど面白解釈化してしまうからだ。要注意。

「古事記」の"~"称号の書き方からすれば、初代天皇は、磐余地域のネコ(土着の母の元で養育された根子。)ではなく、渡来して来たイリ(来の敬語表現だろう。)の渡来神タイプ。(次代も称号が付くから実はネコではない。もしかすると養育は母方ではないのかも。)"いわれ"の地名由来譚掲載を避けているのではっきりしないが、伊波禮の各文字義からする暗喩的イメージからすれば、吉野辺りの戦闘巧者の大軍勢が岩信仰の地に押し寄せて来て、この地域の勢力はひとたまりもなく壊滅したことからくる命名と言えそう。
但し、こうした見方の妥当性はなんとも言い難しである。しかし、それが、全体構成の俯瞰的見方と齟齬をきたしていないなら、その手の感覚を抑えてしまう必要は無いと思う。トンデモ的な行き過ぎは避けられないものの、全体観をさらに研ぎ澄ます上で、後押ししてくれるかも知れないから。

初代天皇の兄に、巖稻いづしね稻氷いなひ、と穀靈的~名が並んでいると指摘したのは本居宣長だが、稲自体は高天原放逐譚で登場してくる穀だし、ミケという食物~(粟)の初出は国生み時。山系天孫の場合、これは何を意味するのだろう。


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