→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.30] ■■■ [904] 25 圧巻は、神々が全員集合した天石屋戸前での、陰部大公開踊り。しかも、それを眼前にして、皆で大爆笑の図。 しかし、語り部の話に耳を傾けている人々にしてみれば、これが無闇に面白かったと言うことで、延々と伝承されて来たのだろう。 それでも、ここだけの特異譚なら、なんらかの事情ありと考えることにもなろうが、国生み冒頭から、男女の性的交接があからさまに語られるのだから、そう見ることは難しい。 それに輪をかけるように、夜這いで拒否され、戸をこじ開けて入ろうとし、一晩中外で騒ぎ続ける話も収載されている。現代なら異常者そのものだろう。 さらに、夜が明けてしまうと、鳴いていた鳥に八つ当たりであり、一体、どんな性格なのだと思わずにいられないが、日本人読者なら、それなりの面白さを味わえる箇所だ。 最初の英訳者は、ここらには仰天しただろうが、削除する訳にもいかないから、相当に苦労したようだ。 しかしながら、ここらはまだ対処が楽な方。約束した女性の元を初夜に訪れたら、月経が始まっていた云々の部分は、流石にココだけは余りに卑猥で書けなかったようだ。 日本人は「古事記」に対してそうした感覚で接したことがなさそうなのが面白い。 古代は性的におおらかだったと見なすことになっているかららしい。 小生は、この手の見方にほとんど意味が無いと考える。 知りたいことは、そんなことではなく、わざわざ性的交渉を直截的に語ってどういう効果を期待しているかの方。(まさか語らないと異端者される訳ではなかろう。・・・残念ながら、この辺りに関してはよくわからない。) 但し、想定できなくもない。こうした一連のお話を聴いている人々は、その辺りで大笑いしているということでは。 「吾身者 成成不成合 一處在」と「吾身者 成成 而 成餘處 一處在」の男女の掛け合いなど、およそ馬鹿げた会話であり、たとえ古代だろうと、思わず吹き出してしまうのが普通の神経ではなかろうか。 八千矛命の異常ストーカー的行為も、まさに聴取者大爆笑の世界と違うか。この手の話を神妙に聞いている訳ではなく、場は、大いに盛り上がっておかしくないと思うが。 こうした笑いは、個人の精神をも、ヒエラルキー構造に組み込もうとする、儒教的統治推進者には恐ろしい声だろうが、軍事独裁体制が樹立されない限り消されるどころか、生き残り続けるもの。 しかし、律令型国家を目指す以上、その様な話を表立って続ける訳にはいかないのは自明。「古事記」として残ったのはほとんど奇跡の様にも思えてくる。 おそらく「古事記」の男女モノにはさり気無くこうした笑いが組み込まれており、天武天皇も含め、皆がそれを笑いながら楽しく聴いた想い出があったろう。・・・ ---初代天皇の歌垣的代理者仲介求婚--- ㊥❶~倭伊波禮毘古命㊉㊀娶比賣多多良伊須氣余理比賣 大久米命の黥利目が印象的なのでどうしてもそこに視点を置かざるを得ない。しかし、それは、伊須氣余理比賣を皇后としたいとの意向を両者が知ってのことという前提ありき。入墨への驚きを話題にしている歌の交換といっても、あくまでも知的なやり取り。 だからこそ、聴取者に微笑みが生まれる仕掛けだろう。 即位天皇はすでに結婚を決意しているにもかかわらず、並んでいる7名のうちの先頭のお嬢さんにしましょう、と執着など無さそうに言う。(@歌)そんな訳がある筈もなく、そこに面白さが生まれるのでは。 ---皇后と兄の妹のどちらをとるか?--- ㊥⓫伊久米伊理毘古伊佐知命㊁后沙本毘賣・兄沙本比古王 天皇は皇后を奪い返そうと手をつくすものの、そうくると察しの良い皇后は上手の策を繰り広げるためすべて失敗。その機知の鮮やかさは感嘆モノだが、同時に天皇の失敗に対する暖かい笑いも誘う。 ---隼 v.s. 雀の女鳥争奪戦--- ㊦⑯大雀命㊉㊀女鳥王・速總別王 天武天皇が大笑いしてもおかしくないのが、機織り小屋のシーン。逆剥ぎ馬皮を投げ込む位の不快感を示すと思いきや、枝に留まる小雀の如き姿勢で接するからだ。けんもほろろに隼への愛を聴かされて引き返すしかない。徳を重視すると云っても度が過ぎるポライトぶり。ここは、まさにくすぐり。 ---忘却の彼方の婚約者 赤猪子の突然の登場--- ㊦㉑大長谷若建命㊂引田部赤猪子 とんでもない老女がやって来るだけでも唖然感が生まれるが、それで済ませない。約束を果たそうにも無理な理由の説明がなされている。約束を守る云々の時代に突入したとはいえ、そんなことをわざわざ、と大笑いでは。(現代では、こうした笑いは侮蔑そのものなので厳禁。) 【同腹兄妹相姦の悲恋譚には笑いは無用。】 ㊦⑲[弟]男淺津間若子宿禰命㊄木梨之輕太子・伊呂妹輕大郎女 (C) 2024 RandDManagement.com →HOME |