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■■■ 「古事記」解釈 [2024.6.2] ■■■
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「古事記」には仏教については記載は皆無だが、これとは対比的に、倭の風習とは全く無関係な儒教経典と漢字テキスト≪論語十卷・千字文一巻≫貢上@㊥⓯品陀和氣命⓹百濟國主貢上が記載されているのが実に面白い。

天武天皇の中央集権国家構想からすると、両書とも不可欠 で、臣下必修書と見なしていた可能性が高い。
これに対して、仏教勢力は文化の取入上、国際的地位確立に不可欠な存在ではあるものの、王権や氏族の枠組みの外に位置するから、朝廷からすれば倭国の制度からの逸脱無きよう、徹底厳格な管理を必要とする。儒教"経書"と仏典への姿勢は全く違って当然。
ここらを考えると、「古事記」は倭語の世界を表記するために編纂しているとは言え、全く異なる文化流入をわざわざ特記する以上、天武天皇の思想書の役割も同時に担っている点には注意が必要だ。
と言うことで、儒教に関して、再度、考え方をまとめておくことにした。

特に、儒教を宗教とみなさないない見方が繰り返し流布されているので、そこらの考え方は、何度でも、しっかりと頭を整理しておくべきと思う。この見方は間違いという訳ではないが、見当外れになってしまうからだ。同じセンスで仏教を考えればすぐにわかるが、仏教とは哲学ということになってしまうからだ。
・・・両方とも、聖書の様な教説とは全く異なる以上、西欧的観点からすれば、そう見る立場があってもおかしくはない。しかし、仏教は宗教では無いと主張したところでほとんど意味なかろう。一方、儒教はそうはいかない。儒教勢力の現実の活動を覆い隠す主張である可能性が高いからだ。

儒教には確固たる<祭天>儀礼があり、そこには天帝という絶対神信仰が組み込まれている。しかも、中華帝国統治の核は、天命による天子=皇帝の独裁制度である以上、宗教と考えざるを得ないと言うに。
当然ながら、この祭祀は人民とは直接つながらない。従って、それに付随する数多くの祭祀/喪式等の儀礼が定義される必要がある。同時に、それらの祭祀と繋がる形で、複雑だが精緻に構成された身分制と家族構造が設定されることになる。・・・これを簡単なプリンシパルで表現するなら、宗族第一主義となろう。要は、天帝-天子独裁と相似形で、宗族祖-宗族長独裁体制が構築されるということ。(換言すれば、儒教の宗教性は、経典上の教説ではなく、もっぱら国家組織の根幹理念として顕れることになる。そこでは個々人の信仰という観念は徹底して除去され、ただただ宗教的儀礼への絶対視が要求される。当然ながら、復古主義=周公神学宗教とならざるを得ない。但し、時代的要請に応えて、それに徹底した倫理的裏付けを付けざるを得なかったので、外面的にはそちらの説明が目立つことになる。他宗教の場合は、呪術的恩恵に基づいた~への崇拝が大きな役割を果たしており、その原始的形態を宗教心の高みに磨きあげることに力が注がれるものだが、儒教は個人信仰を持ち込めないが故、それができなかったともいえよう。)

倭国は、こうした儒教全体の体系は導入できなかったようである。

一見、中華帝国の天子≒天皇に似ている様に映るが、あくまでも日御子=天皇だからだ。皇位継承とは先代天皇から魂を受け継ぐことなので、全く異なっている。(長子相だろうが末子だろうが、魂継承ができさえすれれば即位可能。)臣下も~統譜上の遠縁扱いになっており、氏族制度を超越した中華帝国型官僚統治機構構築は無理筋。当然ながら、宗族宗教化には進めない。
結局のところ、中央集権国家の運営方法の基礎としての"日常的倫理/道徳規範"を経書読解を通して取り入れるだけのレベルで終始せざるを得ない。


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