→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.5] ■■■ [歌鑑賞3]八千矛の神の命は萎草の ⑰(5-7)-(5-6)-(5-7)-(5-7)-(3-8)-(4-7) 5-7-6-3-3 爾 其 沼河日賣 未開戶 自内歌曰 尚、"許登能 迦多理碁登母 許遠婆"で、このNo.3歌は一段落しているが、なんの文章も無しに、すぐに後ろのNo.4歌が始まる。2首に分けたが、歌は連続していることになる。 八千矛の 膨大な数の矛を支配されている 神の命は 神である命(の御前では) 萎草の 萎れてしまった草の(如き) 女にしあれば 女のことですから 吾が心 我が心は 浦洲の鳥ぞ 渚や砂州の海鳥の様ですが 今こそば 今でこそ 吾鳥にあらめ 我が鳥でありますものの 後は 後になれば 汝鳥にあらむを 汝の鳥になりましょう 命は 命は な殺せ給ひそ どうか殺したりなさいませぬよう* いしたふや 下足に控える 天馳せ使ひ 神の走り遣いからすれば 事の語り (伝える)語り言も 外面 だいたいのところ 此をば この様な(次第) 言うまでもないが、No.2で、鳥どもはけしからぬと、いうことで政治的に解釈するとすれば、煩い鳥を始末せよという命令を下したことになる。 そのストーリーとして続けるなら、ここでは、八千矛命に"降伏しますので、殺したりしないで下さい。*"と、ひたすら穏やかな調子で嘆願していることになる。 ただ、それにしては全体的のかなり肉感的な表現がなされた恋歌に仕上がっているし、技巧的な印象を与えるので、それは歌の本質ではなさそう。 ここでは、誰にも頼らず巣作りと子育て生活に没頭する、か弱そうな番の海鳥を持ち出しているところが秀逸と見るべきだろう。 さらに、恋の駆け引きの歌垣文化を継承していると見るべきかも。 女性側が歌が続かなくなることで、負けを認めて結婚承諾となる仕来たりだが、それですぐに仲睦まじくの段には入らず、女性が逃げ回って、男性に捕まるというお遊びが続く。 要するに、歌垣で掛け合い勝負が始まるということは、すでに芽がある訳で、意中の人であればあるほど勝負は長引いたりする。いわば女性からの"じらし"が行われてこその恋心沸騰という仕組み。この歌はそこらの風習に根差していると考えてもよさそう。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |