→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.7] ■■■
[歌鑑賞5]射干玉の黒き御衣を
【大国主命】嫡后の嫉妬の抑制
奴婆多麻能ぬばたまの 久路岐美祁斯遠くろきみねしを 麻都夫佐爾まつふさに 登理與曾比とりよそひ 淤岐都登理をきつとり 牟那美流登岐むなみるとき 波多多藝母はたたぎも 許禮婆布佐波受こればふさはず 幣都那美へつなみそに 曾邇奴岐宇弖ぬきすて 蘇邇杼理能そにとりの 阿遠岐美祁斯遠あをきみねしを 麻都夫佐邇まつふさに 登理與曾比とりよそひ 於岐都登理をきつとり 牟那美流登岐むなみるとき 波多多藝母はたたぎも 許母布佐波受こもふさはず 幣都那美へつなみ 曾邇奴棄宇弖そにぬきうて 夜麻賀多爾やまがたに 麻岐斯まきし 阿多泥都岐あたねつき 曾米紀賀斯流邇そめきがしるに 斯米許呂母遠しめころもを 麻都夫佐邇まつふさに 登理與曾比とりよそひ 淤岐都登理をきつとり 牟那美流登岐むなみるとき 波多多藝母はたたぎも 許斯與呂志こしよろし 伊刀古夜能いとこやの 伊毛能美許等いものみこと 牟良登理能むらとりの 和賀牟禮伊那婆わがぬれいなば 比氣登理能ひけとりの 和賀比氣伊那婆わがひけいなば 那迦士登波なかじとは 那波伊布登母なはいふとも 夜麻登能やまとの 比登母登須須岐ひともとすすき 宇那加夫斯うなかふし 那賀那加佐麻久なかなかさまく 阿佐阿米能あさあめの 疑理邇多多牟敍さぎちにたたむぞ 和加久佐能わかくさの 都麻能美許登つまのみこと 許登能ことの 迦多理碁登母かたりことも 許遠婆こをば
㊿(5-7)-(5-5)-(5-6)-(5-7)-(5-6)-(5-7)-(5-5)-(5-6)-(5-6)-(5-6)-5-3-5-7-6-5-5-5-6-5-5 -(5-7)-(5-7)-(5-7)-(5-6)-(4-7)-(5-7)-(5-7)-(5-6) 3-6-3

    又 其神之嫡后須勢理毘賣命 甚爲嫉妬
    故 其日子遲神"和備弖"自出雲
    將上坐倭國 而 束裝立時
    片御手者 繋御馬之鞍 片御足蹈入其御鐙 而
    歌曰

射干玉の  "ぬばたま"(色)の
黒き御衣を  黒き御衣を
真具さに  十二分に
取り装ひ  着付け装い
沖つ鳥  海鳥(のように)
胸見る時  胸を見る時
はたたぎも  羽搏きも
此れは相応はず  似つかわしくない
辺つ波磯に  浪打際の磯場に
脱ぎ棄て  脱ぎ棄て

鴗鳥の  鴗鳥(色)の(翡翠の様な)
青き御衣を  青き御衣を
真具さに  十二分に
取り装ひ  着付け装い
沖つ鳥  海鳥(のように)
胸見る時  胸を見る時
はたたぎも  羽搏きも
此も相応はず  似つかわしくない
辺つ波磯に  浪打際の磯場に
脱ぎ棄て  脱ぎ棄て

山県に  山の畠に
蒔きし  蒔いて育てた
あたね突き  あたね草を搗いて(作りし)
染め木が汁に  染料材の汁で
染め衣を  染めた衣を
真具さに  十二分に(整えて)
取り装ひ  着付け装い
沖つ鳥  海鳥(のように)
胸見る時  胸を見る時
はたたぎも  羽搏きも
此し宜し  これなら宜しい

愛子やの  睦会う
妹の命  妻の命
群鳥の  鳥の群れ(の如く)
吾が群往なば  我も群れで行って(しまった)なら
引け鳥の  引いていく鳥(群の如く)
吾が引け往なば  我も引いて行って(しまった)なら
泣かじとは  泣きはせぬと
汝は言ふとも  汝が言っておっても
倭の 一本薄  大和の一本薄(の様に)
頂傾し  項垂れてしまい
汝が泣かさまく  汝は泣いてしまうだろう。
朝雨野霧に立たむぞ  朝の雨で野に霧が立ち込めるようなもの
若草の  若草の(如き)
妻の命  (我が)妻たる命

事の語り言も  (伝える)語り事も
此をば  この様な(次第)

わかったような、なにもわかっていないような、曖昧な解釈をしがちな歌である。
ただ、主題はあくまでも、嫡妻の嫉妬に対する大国主命自身の対応なので、その観点で読み取るだけだから難しい訳ではない。

それに、嫉妬の原因は自明だし。・・・出雲王朝の覇権をより強固にするには、他国に進出して制圧する以外にあり得ないが、服属化とはその地の女王あるいはその地の神に仕える巫女との婚姻関係を結ぶことになる。その結果、母国での婚姻関係は蔑ろにされかねないということに尽きよう。

この歌の場合、大国主命が戦闘態勢を整えて大和に出立すべく、騎乗しかかった、まさにその時、嫡妻から横槍が入ったことになる。
それをなんとか宥めて、出立できたのか、結果の程ははっきりしていない。出雲に留まらせたと見るのが自然な感じがするものの。
なんといっても行先は大和国。上首尾に進攻したとすれば、出雲覇権が確立してもおかしくないが、そこらについては情報が全くないので、判断できかねる。

宥め方にしても、機転が利いているとは言い難いところがあり、この程度で成功するものか疑問を感じさせることも大きい。
鵜の色である黒や、翡翠(鴗鳥)かわせみの色である青は、今一歩で合わぬが、夫婦で育てた"あたね"で染めた色は出立するのにピッタリと云うことで説得するのだから。歌としてかなり冗長と言わざるを得ず、面白さにも欠ける。

大和に着けば、そこでは一本の薄のようなもので、魅力的な妻を想い出すしかなく、寂しい限りだ、と言うのならストーリーとしてわからないでもないが、ここでは、出雲から皆が出立し、一人ボッチで残されて泣きたくなる気持ちはよくわかると言うことで、嫡妻を思いやる気持ちが前面にでており、その言葉が、心に響いて出立できるとも思えないが、それは現代の読者のセンスである。

その反応はすぐに嫡妻からの返歌に顕れる。

 (C) 2022 RandDManagement.com  →HOME