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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.11] ■■■
[歌鑑賞9]沖津鳥鴨著く島に
【比古遲(火遠理命)】答歌妃への愛
意岐都登理をきつとり 加毛度久斯麻邇かもつくしまに 和賀韋泥斯わがいねし 伊毛波和須禮士いもはわすれじ 余能許登碁登邇よのことごとに
㊄(5-7)-(5-7)-7

    爾 其 "比古遲"
    答歌曰

沖津鳥  海鳥の
鴨著く島に  鴨が居着く島で
我が率寝し  我が共寝した
妹は忘れじ  妹を忘れることなどできぬ
世の事々に  世の中にどんなことがあろうと

豊玉毘賣の歌に対する答歌とされるが、すでに海~之宮とは交流が経たれているので返歌を届ける術は無い。もともと、玉依毘売に託して歌を献上しており、返歌も玉依毘売に対するものでよいということだろうか。
そうなると、この歌は、神世7代から始まって来た流れを断ち切る宣言というか、その時代を懐かしむ独白歌として位置付けられているのかも。
実質的な上巻最期であるし。

そこから一歩進めて考えると、<かもどくしま>はかもとしか読みようがなさそうだが、かむの暗喩的な表現の可能性もあろう。
そもそも、火遠理命は山幸彦であり、鴨の寄り集まる島に座するタイプとは思えないからだ。しかも、豊玉毘賣に関係するなら、鵜の島となるのが自然だ。鴨が日本列島南方で卵を孵すなどほぼあり得ないこともある。

そんなとりとめもないことを考えさせるように地文が記述してあることにも触れておこう。

どういう訳か、この返歌を詠むのは<比古遲>とされている。
唐突に用いられているが、倭の世界観の大元の言葉たる、葦牙の生命力を示す尊称である。
   別天~ 宇摩志阿斯訶備比古遅神
これを持って、伍佰捌拾年の高千穂宮に於ける神の時代に区切りがつくことになる。

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