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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.18] ■■■
[歌鑑賞16]大和の高佐士野を
【大久米命】地場婚姻推奨
夜麻登能やまとの 多加佐士怒袁たかさじのを 那那由久ななゆく 袁登賣杼母をとめとも 多禮袁志摩加牟たれをしまかむ
㊄(4-6)-(4-5)-7

    於是 七媛女遊行 於高"佐士"野
    伊須氣余理比賣在其中
    爾 大久米命 見其伊須氣余理比賣 而
    以歌白於天皇曰

大和の  大和(の国)の
高佐士野を  高佐士(の)野を
七行く  行く7人の
乙女ども  乙女たち
誰をし枕かむ  (の中から)誰を(お相手として)お召しになります

天皇の独白に読みたくなるところだが、歌垣に参加する女性団のとりまとめ役を皇后にしたらどうかということで、御付きが「あの子はどうでしょう?」と天皇に尋ねたと解釈すべきだろう。
歌垣は原則的には見初めあう当該男女間の歌での戦いから始まるコミュニティの公開儀式からすれば、男-男で女性選ぶ会話が行われるのは極めて異常と言わざるを得ないが、初代天皇にとっては、大和地区でのこのような風習には、まだまだ馴染みが薄かったことを意味していそう。婚姻儀礼としての呪言を公開の場で語るなどおよそあり得ないことだろうし。
もっとも、歌垣当日なんの情報もなく男女が集まって、無原則的に交流が行われる訳ではないから、常識的には双方ともに情報を集め、探りを入れているのは当たり前。土着勢力の女性側から、例外的扱いがなされたとも言えよう。

何故7名なのかは、よくわからないし、大和国に高佐士に該当しそうな地名も見つからないところを見ると、後世、歌垣文化の存在を抹消する動きがあったということだろうか。

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