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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.2] ■■■
[歌鑑賞30]尾張に直に向かへる
【倭建命】伊吹山より敗走@尾津岬一本松
袁波理邇おはりに 多陀邇牟迦幣流ただにむかへる 袁都能佐岐那流をつのさきなる 比登都麻都ひとつまつ 阿勢袁あせを 比登都麻都ひとつまつ 比登邇阿理勢婆ひとにありせば 多知波氣麻斯袁たちはけましを 岐奴岐勢麻斯袁きぬきせましを 比登都麻都ひとつまつ 阿勢袁あせを
⑪(4-7)-7-[5]-3-([5]-7)-7-7-[5]-3

    尾津前一松之許 先御食之時
    所忘其地御刀 不失猶有
    爾 御歌曰

尾張に  尾張国へと
直に向かへる  一直線に向かっている
尾津の岬なる  尾津の岬に在る
一つ松  一本松(よ)
吾兄を  あなた(囃子詞)
一つ松  一本松が
人に在りせば  もし人だとしたら
太刀佩けましを  太刀を佩びさせるし
衣着せましを  衣服も着せるところだ
一つ松  一本松
吾兄を  あなた(囃子詞)

食事をして、御刀を置き忘れたが、そのまま出かけてしまいえらい目に遇い、戻ってみると一つ松の同じ場所にあったという他愛もない話。
ここでの食事が、"先"とされており、それが東征前ともとれる書き方であるが、考えてみれば、緊張感溢れる進軍の時にポカミスでもあるまい。
揖斐川-木曽川-長良川デルタでの渡河を避け、尾張の対岸である尾津@桑名多度に渡って、先ずはとりあえずこの地で食事をしたと思われる。一本松は、その様な土地柄としていかにも似つかわしかろう。そこから神討伐ということで、伊服岐能山往復となる。
すでに大仕事を終え、弛緩している状態だから、御刀を置き忘れてもおかしくあるまい。

ここでの松が本朝文献上最初となろうが、はからずも、松と人が同格であることを歌っており、樹木靈が護ってくれるとの、倭人の古代からの世界観を披歴している。両者の間には精神的交流が存在していることになろう。

ここは現代人にとって重要なところで、このような性情だから倭建命の本心には優しさがあるといった見方は全くの勘違い。人と動植物が同格ということは、動植物に対するある意味で極めて残忍な行為を、人に対してもなんの躊躇もなく行えるということ。それが倭建命の本性であり、それこそが古代における自由な精神を披歴している姿そのものと云えないこともない。そこには、論理は不要である。当然のことながら、現代のモラルには概ね合わないと見てよかろう。
現代社会の視点から解釈するのは避けるべきである。

尚、中華帝国であれば、樹木の靈とは魑魅でしかなく、特段の悪さをしなくても社会生活を乱す物の怪でしかない。たとえ、有用樹木であっても、それとは無関係である。
従って、姿を現してきたら、見つけ次第有無を言わさず叩き潰すことになる。(唐代の書「酉陽雑俎」を読むとよくわかる。)これを儒教の合理的精神の根幹と見ても間違いではない。
この行為には論理が存在しており、彼我の違いは小さなものでは無い。

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