→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.4] ■■■ [歌鑑賞32]命の全けむ人は ㊆(4-7)-(5-7)-(7-5)-3 又歌曰 歌末に、前の歌同様との注記的記述。 此歌者 思國歌也 命の (吾の命はもうすぐ尽きるだろうが)命に 全けむ人は 別条なかった子は 畳薦 (真菰の敷物を畳み重ねたような地である) 平群の山の 平群(@生駒)の山の 熊樫皮を 大きな樫の木の皮を(葉=枝とした方が馴染むが) 髻華に挿せ 簪として挿すように その子 その子よ(生きよ) 歌を詠んだ地は、能煩野@伊勢国鈴鹿郡で、そこで崩御。 平群は生駒山系大和国側矢田丘陵を指すと思われるが、そこは日下部への道辺りの葉広熊白檮が生える地。おそらく、健康を願っての儀礼だろうが、場所からすれば鹿猟に最適だろうから古から有名な地だったのだろう。 幼少の頃参加した宮廷行事の薬猟の姿への想いが募ったと考えると、ムード的にはピッタリ。 現代感覚だと、"その子"とされるのは、行軍に付き従う無事だった"者ども"という見方をしがちだが、辞世句であるからして、ここは文字通りの元気な子供達と読むべきだろう。 言うまでも無いが、一般の子供ではなく、大和国に居る血族である。 そうでないと、後ろの文章の"坐倭 后等 及 御子等"に上手くつながらない。 尚、「日本書紀」では、<熊樫皮を>⇒<白樫が枝を>だけが少々異なる。 異能知能 摩曾祁務比苔破 多々瀰許莽 幣愚利能夜摩能 志邏伽之餓延塢 于受珥左勢 許能固 これは、山の支配者たる熊に成りきって、樹皮と葉で命を繋ぐ鹿を射止め、その肉を喰らう長命祈願の儀式と推定するなら、太安万侶用語が正統派と思われる。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |