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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.5] ■■■
[歌鑑賞33]はしけやし我家の方よ
【倭建命】辞世的[片歌]故郷を見上げ感慨
波斯祁夜斯はしけやし 和岐幣能迦多用わぎへのかたよ 久毛韋多知久母くもゐたちくも
㊂(5-7)-7

    又歌曰
歌末に注記的記述。
    此者片歌也
愛しけやし  愛しい
我家の方よ  我家の(方から)
雲居騰ち来も  雲が立ち昇って来るぞ

国史では、この<はしけやし我家の方よ>が最初で、
波辭枳豫辭 和藝幣能伽多由 區毛位多知區暮
次が<倭は国のまほろば>、<命の全けむ人は>となる。
倭建命が、崩御直前の4首で望郷の思いの丈を順に詠んでいると考えるなら、この方が流れとしては論理的と言えるかも知れない。
と言うのは、次の1首も含めて、バラバラな歌の寄集め感はまぬがれないからだ。特に、<命の全けむ人は>を連れて来た若い人々に対する歌と考えてしまうと、国見的⇒若輩者声援⇒望郷の念⇒[最期]禍根ということになり、ほとんど独立した歌を並べただけに見えてしまう。
しかし、そのような手抜きの編纂が行われるとは思えない。

ここは、王権に絡む、倭建命の意思が見えるように工夫してあると考えるべきではないだろうか。

先ず、<倭は国のまほろば>は倭国の王権を司る地位にあるということでの、純粋な国見歌と見た方がよさそうだ。
次が、まだ幼い我が子たちに、自分の後を継ぐのであるから、天皇にふさわしい歳になる迄健やかに育て、との呪言的な歌を詠んだのだろう。
すると、倭建命の現前に見えて来たのである。大和国の我が家から、王権獲得の雲が立ち昇る様子が。
しかし、歓喜するだけの気力はもう残っておらず、一気に力が抜けていくことになる。

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