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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.8] ■■■
[歌鑑賞36]浅小竹原腰難む
【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>倭建命白鳥に化身
阿佐士怒波良あさじのはら 許斯那豆牟こしなづむ 蘇良波由賀受そらはゆかず 阿斯用由久那あしよゆくな
㊃(6-5)-(6-6)

    爾其后及御子等
    於其小竹之 雖足䠊破
    忘其痛 以 哭追
    此時歌曰

浅小竹原  (広い)小篠の原を
腰難む  進むのは 骨が折れ難儀
虚空は行かず  しかし (障害のない)空を行けないし
足よ行くな  足で(一歩一歩)行くしかないのがもどかしい

前歌の状況とは違って、ここからは、倭建命の魂が八尋白智鳥と化すことに。濱に向かって天空を飛翔したので、后等・御子等は田圃から濱へと急遽急ぐことになる。そこには笹藪があり、藪漕ぎとなるから手足が傷だらけになり、痛いことこの上ないが、それを我慢して哭きながら追って行くシーンに転換する。

解るような判らない歌である。

日本は、里から低山に入ればすぐに藪漕ぎになり、踏み道はあってもすぐに見失うことが多い。そうなると、戻る路もさっぱりわからくなり往生することになりがち。見通しが効く浅い藪であっても無理すると崖から落ちたりしかねないのが実情。地元以外の人や、訓練無き者にとっては危険すぎる行為であり、一般的に行われるものではなかろう。
ましてや、この行為が崩御とどうかかわるのかと考えると、まったく答が見つからないのが実情。

前歌は御陵を作ったことに伴って詠まれたから、その場所は、仮埋葬地か殯宮近辺だろうが、この歌からは魂を追いかける儀式なので、それとは繋がらない。そのため、さらに解釈が難しくなる。
しかも、藪漕ぎしながらの号泣を組み込む必然性が何処にあるのかさっぱりわからない。一般的な葬儀からいけば、ここは<殯>次第を完了し、葬送儀式が始まる場面。それなら、号泣や魂再生の呪言で十分だと思うが。
(しかしながら、わからないからといって、民謡転用歌と見なす訳にはいかない。どう説明しようと、類似性の機械的指摘に過ぎず、恋歌や労働歌と葬儀歌は区別する必要無しという主張となんらかわらなくなるからだ。この様な概念も論理性も欠いた議論は無意味だと思う。しかも、この歌を例外とする根拠も示すことができない。このことは、「古事記」とは、すべてがそのような滅茶苦茶な張り合わせで創作された歌だらけの書と見なす主張と同義と言わざるを得まい。)

とは言うものの、何も感じられない訳では無い。

藪漕ぎをしながら里から離れた方へと泣きながらの行列というシーン自体は、すでに仏教葬儀の時代に入ってからの慣習ではあるものの、野辺の送りを彷彿させる点を含んでいるのは間違いない。儒教の影響が排除されていれば、魂のお見送り儀式は必ず親族と身近で仕えて来た人々の行列形式になるからだ。その行く先は人々が滅多に通らない野原。その場所が黄泉の国観念と繋がっているのかは定かではないが、死者の魂は、邑の人々の生活領域とは隔絶された他界に落ち付いてもらう必要があり、道なりに続いている地に存在されたのではこまるのである。
こうしや民衆レベルの慣習と宮廷文化を比較するのは間違いのもとになりがちだが、死者の魂の見方に関してだから、そう外れることは無いのでは。

これ以上は、なんとも言い難しだ。民衆の葬儀歌謡が無かったとは思えないが、何一つ伝承されていないから、いかんともし難い。

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