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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.9] ■■■
[歌鑑賞37]海処行けば腰難む
【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>白鳥追走@海辺
宇美賀由氣婆うみがゆけば 許斯那豆牟こしなづむ 意富迦波良能おほかはらの 宇惠具佐うゑぐさ 宇美賀波伊佐用布うみがはいさよふ
㊄(6-5)-(6-4)-8

    又入其海鹽 而 "那豆美"
    行時歌曰

海処行けば  海側へと行くが
腰難む  (ココでも)行くのに難儀
大河原の  大河原に
植ゑ草  生えている草の様に
海処は猶予ふ  水場を彷徨い行くことになる。

前歌で、民衆の葬儀歌謡が何一つ伝承されていないと書いたが、それは野の原を特別な地と見なす陸社会でのことで、南島には伝承葬儀歌謡はいくらでもあると言ってもよかろう。ただ記録としてどの程度残存しているのかはわからぬが。
その、海処の葬儀歌が上記ということになろう。

見逃してならぬのは、白鳥は西方に飛んだのではなく、濱に向かった点。間違えてはこまるが、西方浄土を引き合いに出しているのではなく、故郷大和国へは直行せず、最終的な御陵地の河内を目指すのなら西方になる筈。濱は西方には存在しないので、注意を払う必要があると言うに過ぎない。
当然ながら、そのような地が葬儀で関係してくるのは、南島海人のコミュニティ以外に考えられないのでは。

"那豆美"が葬儀に於けるキーワードであることはわかるものの、その意義については図りかねる。障害が多くて行くのに難渋することが、重要視されているようだが、この歌では植え草を例えにしているので、どのような障害を意味するのかがさっぱり解らない。河原とされるものの、海鹽とあるから、海草を指すとすれば、濱のイメージとは離れてしまうようにも思え、頭が混乱させられるが、陸から海へと葬送が進んだということなら、ここは河口に出た情景と見ておけばよいかも。

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