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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.16] ■■■
[歌鑑賞44]いざ子ども野蒜摘みに
【天皇】皇子に美女を譲り渡した時
伊邪古杼母いざこども 怒毘流都美邇のひるつみに 比流都美邇ひるつみに 和賀由久美知能わかゆくみちの 迦具波斯かくはし 波那多知婆那波はなたちばなは 本都延波ほつえは 登理韋賀良斯とりゐからし 志豆延波しづえは 比登登理賀良斯ひととりからし 美都具理能みつくりの 那迦都延能なかつえの 本都毛理ほつもり 阿加良袁登賣袁 あからをとめを 伊邪佐佐婆いなささば 余良斯那よらしな
⑯(5-6)-(5-7)-(4-7)-(4-6)-(4-7)-(5-5)-(4-7)-(5-4)

    天皇 聞看豐明之日
    於髮長比賣令握大御酒柏 賜其太子
    爾 御歌曰

いざ子ども  さあ 皆の者
野蒜摘みに  野蒜(のびる)摘みに
蒜摘みに  蒜(ひる:ニンニク)摘みに
我が行く道の  我が進んで行く道には
香はし  香しい
花橘は  花橘 …低木だが赤色実がつく山橘系のことでは。
上枝は  その上の枝は
鳥居枯らし  鳥が居て枯らしてしまうし
下枝は  その下の枝は
人取り枯らし  人が取って枯らしてしまうが
三栗の  三栗の(真ん中の実のような)
中枝の  その中の枝には
穂積り  蕾がたわわ
赤ら乙女を  そんな赤ら(顔の)少女を
いざ挿さば  自分の妻にすれば
好らしな  これほど好ましいことはないでしょう

豐明の宴の開催辞としての歌。
メインイベントは、天皇が召した髮長比賣を、皇子 大雀命が賜る行事。最初にこの歌が詠まれ、それに合わせて皇子が比賣の献杯を飲み干すのでは。現代の式次第では乾杯に当たろう。

若菜摘みに野に出ることで娘子と出会って恋が芽生え婚姻に至るという伝統行事を踏まえ、若草を辟邪香菜類に替え、皆で健康を祈念しようと呼びかけているところがミソ。
総称ひるにら ねぎ  茖 行者ニンニク 山蒜ノビル (小)蒜ニンニク 薤 らっきょう

続いて、日向から招いた新婦を寿ぐ詞となる。

ココでは<花橘>を登場させていて、違和感を感じさせる。
かなり後世ではあるものの、栽培種が至る所に植えられ、橘の花を愛でることが大流行した位だから、人気の樹木として題材にするのはわかるが、白い花であって赤い花や実は付かないからだ。歌の内容とは全く合わないことになる。
そうなると、ここは在来種の野生の山橘を指すと見なさざるを得ないが、所謂、千両・万両系であり、低木なので、歌のように上中下で分けるような見方にはなり難いように思える。無理と言う程ではないものの。
しかし、この上中下の3分割の言い回しは、古代からの慣習表現。それに従うことこそが、こうした儀式の要諦なのかも。要は、中の赤が抜群の素晴らしさと指摘すればよいだけだし。

赤い実がついた枝を皇子の頭髪に挿すシーンがあってもおかしくない訳で。
ともあれ、現代人にはその様にはさっぱり感じない可能性が高いが、格調高き婚姻寿ぎ歌であることは間違いなさそう。

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