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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.21] ■■■
[歌鑑賞49]檮の生に横臼を作り
【吉野之國主等】<獻大贄之時>皇嗣即位前に新酒贈呈
加志能布邇かしのふに 余久須袁都久理よくすをつくり 余久須邇よくすに 迦美斯意富美岐かみしをふきみ 宇麻良爾うまらに 岐許志母知袁勢きこしもちをせ 麻呂賀知まろかち
㊆(5-7)-(5-7)-(4-7)-4

    又 於吉野之白檮上
    作横臼 而 於其横臼 釀大御酒 獻其大御酒之時
    撃口鼓 爲伎 而
    歌曰

檮の生に  白檮の生える原で
横臼を作り  (広々とした)横臼を作り
横臼に  その横臼で
醸みし大御酒  醸造した大御酒です
美らに  美味しさを(ご賞味しながら)
聞こし以ち食せ  お召し上がりください
麻呂が父  吾のお父上

この歌の解釈には、十分注意する必要がある。

山奥の人々の歌だから、素朴で古くからの伝承に基づく歌だろうと思いがちだが、性情としては逆の可能性の方が高いからだ。

極言すれば、それこそ、当時の文化的流れで、一番新しい表現が使われていてもなんら驚きではない。
情報収集こそが山奥の地 吉野之國生き残りの手管と見るからだ。

おそらく、3皇子時代に、このうちの"孫生ひこばえ"こと末子が次期天皇との予測を早々と立てていた筈。そうでなければ、前歌が示すような、大雀命との強固な紐帯を構築できる訳がなかろう。中央政治に係わる地位獲得可能な経済力など無いに等しいのだから。
・・・情報を集め、中央政治や文化の流れをいち早く読み取り、生き抜く術を編み出すことに全精力を費やしていなければ、天皇の私兵的な直属親衛隊を続けることなどほぼ不可能と違うか。

吉野之國主の大御酒(天皇・皇継の宴会用)奉納歌も、そうした状況を踏まえて解釈した方がよかろう。
"聞こし召す"的に映る"聞こし以ち食せ"という言葉や、麻呂賀知まろかちという表現は、「古事記」全文のなかで異彩を放っている。と言って、吉野之國だけで使われている古い言葉を寿ぎの場で使うことはおよそ考えにくい。このことは、大雀命の取り巻きに響く用語であって、はない可能性が高いということ。

特に後者を"麻呂が父"と読むとしたら、天皇・皇嗣の親衛隊としての特別な関係なくしてはあり得ない言い回し。自分自身を麻呂と称するのは、後世の流行りであるところから見て、新時代感覚に溢れている表現と考えた方がよさそう。言うまでもないが、大雀命の周囲でしか通用しないジャーゴン。

その様に考えれば、酒宴開始に、不可欠に近い歌ではないかという気にさせられる。酒の席ほど天皇にとって危険なものはなく、酔えば人々は乱れて来て注意散漫になるから、暗殺者から見れば素晴らしき機会そのもの。実際、そのような手で敵対者抹殺に長けていたからこそ皇統が維持できたと示唆するような話も掲載されていう位なのだから。無防備でないことを示すに最良の方法としては、親衛隊護衛体制を知らしめること。そんなことを表明するなどいかにも無粋だが、なんらかの手を打つ必要はあろう。

従って、天皇の私兵的親衛隊が、酒席の安全性を保障していることを示唆する歌を詠むことで、それに替えていると考えることもできるのではないか。食国儀式的服属歌の形式に則りながら、使っている用語で天皇直属部隊であることを知らしめることで、絶対忠誠の強固な軍事部隊がここで酒宴をお護りしていますので、どうか安心してお酒を愉しんでくださいと伝えていることになろう。酒宴つきものの儀礼歌ではあるものの、他の寿ぎの歌舞とは性格が全く異なることになる。

・・・そうとでも考えない限り、山奥の経済力乏しき勢力がこのような場に登場してくる理由が思いつかない。

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