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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.25] ■■■
[歌鑑賞53]沖辺には小舟連ららく
【天皇】皇后を恐れ帰郷した妃への恋慕
淤岐幣邇波をきへには 袁夫泥都羅羅玖をふねつららく 久漏邪夜能くろさやの  摩佐豆古和藝毛まさづこわげも 玖邇幣玖陀良須くにへくたらす
㊄(5-7)-(5-7)-7

    然 畏其大后之嫉 逃下本國
    天皇坐高臺 望瞻 其K日賣之船出浮海
    以 歌曰

沖辺には  沖の方には
小舟連ららく  小舟が連なっている
黒鞘の  太刀を収めてくれる黒き鞘の
まさつこ我妹  真っ当な娘である 吾の妻が
国へ下らす  (今) 帰国の途に就かれておられるのだ

もともと、大后の嫉妬はよく知られていた。
    其太后石之日賣命 甚多嫉妬
    故 天皇所使之妾者不得臨宮中
    言立者 足"母阿賀迦邇"嫉妬

こんな歌を耳にしたら皇后がどんな反応を示すかは自明。
    故 太后聞是之御歌大忿
    遣人於大浦 追下 而 自歩追去


葛城で実権を握る大后恐るべし的な話になっていく訳で、実際、天皇崩御後の皇嗣3代は皇后の御子。
もっとも天皇はそんなことはおかまいなしである。
こう言ってはナンだが、ウケ狙いの愉快な描写でもある。嫉妬で地団太踏む大后は、恋敵追放に当たって歩かせたというのだから。

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