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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.5] ■■■
[歌鑑賞63]山代の筒木の宮に
【口日売】皇后に天皇の使者に会って欲しい旨懇願
夜麻志呂能やましろの 都都紀能美夜邇つつきのみやに 母能麻袁須ものまをす 阿賀勢能岐美波あかせのきみは 那美多具麻志母なみたくましも
㊄(5-7)-(5-7)-7

    爾 口子臣之妹 口日賣 仕奉大后
    故 是口日賣歌曰

山代の  山城の
筒木の宮に  (仮の滞在地にされている)筒木の宮で
もの白す  (大后)に申し上げようとしております
我兄の君は  吾の兄君を(見るに)
涙ぐましも  (吾から見て)涙ぐましいものがございます

拍と音のリズム感は確かに歌だが、韻文と云うより散文に近い表現である。
しかし、多分それでよいのだろう。作者は大后に仕えており、名前が口日賣であるから、口頭伝達役。従って、この様な表現を多用してもおかしなことではなかろう。
天皇に仕える兄の丸邇臣口子に対して、大后側の同じ役割に当たることになり、歌によって意思疎通を図る専門家としての自負がありそう。

泣けてくるとは、兄に対する大后の姿勢が、コミュニケーション拒否なため、歌で真意を伝達するプロとしては納得がいかないことにあろう。その誇りを傷付ける行為に対しては黙っている訳にはいくまい。

そこらを意味する言葉が末尾に来ているので、少し補足しておこう。

この手の表現がある時は、日本語の感情表現ルールを想い起す必要がある。
怒る、泣く、笑うは感情表現の基本語彙だが、これらはあくまでも外面の観察用語でしかなく、"真の"感情表現用語ではない点を忘れがちだからだ。英語教育を受けてしまうと、どうしてもそうなりがちだが、このルール自体はたいして揺らいでいない。
日本語では、感情表現可能なのは1人称だけ。"I feel 〜."と云うことはできても、滅多に使わないが、"私が推定する。"という文章の中でない限りは、"You feel 〜."とか"He feels 〜."と言ってはならない。おそらく話語の特徴だろう。

この歌では、感情が高まって涙が生まれるのは、あくまでも兄を見ている自分だけである。"私"は、ひとりでに、涙が出そうになりますという意味。
兄については、余りにつらくて涙がでそうになっても"堪えている"のか、はたまた、自分の役割に忠実で、そのためならなんでもする"決意"で、涙などこぼす余裕さえ無いのか、等々を書き記すことはルール上避けることになる。従って、その機微を伝えることが口子の能力として問われることになる。

・・・太安万侶もこの状況とほぼ同じ環境で仕事をして来たであろう。

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