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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.19] ■■■
[歌鑑賞77]埴生坂吾が立ち見れば
【天皇】なんとか助かったことがわかった時
波邇布邪迦はにふざか 和賀多知美禮婆わがたちみれば 迦藝漏肥能かぎろひの  毛由流伊幣牟良もゆるいへむら 都麻賀伊幣能阿多理つまがいへのあたり
㊄(5-7)-(5-7)-9

    到於 波邇賦坂 望見難波宮
    其火猶炳
    爾 天皇亦歌曰

埴生坂  埴生坂(に着いて)
吾が立ち見れば  吾が立って見分すれば
陽炎の  東の空の明け方の光[曙光]のようで
燃ゆる家群  (メラメラと盛んに)燃える家々があるが
妻が家の辺り  (それは)妻の家の辺りだ

"吾が立ち見れば"という語句は意味深。
高所から国土を眺め、寿ぎの歌を詠む、国見儀式と同じような状況に至ったことになるからだ。

宮から丹比野まで逃れて一息き、さらに波邇賦坂迄来て、そこまでで随分と時間が経ったが、眺めると難波宮はまだ燃えていたのである。寿ぐといっても、なかなか難しそうである。
そのため感情表現無しで表現しているかのような歌になっているが、祭祀を潰してまで皇位簒奪を図られた結果、宮一帯は壊滅したものの、そこにはすでに曙光が見えているという主旨なのかも知れない。

そんなことを考えると、この歌、なかなかの出来栄え。
もともとこの地から国見を行った覚えがあることを意味していそうな気にさせるように作られているからだ。キーワードは勿論"かぎろひ"。春の陽光の"かげろう"を指す言葉でもあり、妻に求婚する際に、富める家々があると、同様な歌を詠んだ覚えがあると感じさせる力があるからだ。
 [「萬葉集」巻六#1047]かぎろひの[炎乃] 春にしなれば[春尓之成者]

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