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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.20] ■■■
[歌鑑賞78]大坂に遇ふや乙女を
【天皇】敗走逃亡中に乙女に道を尋ねた時
於富佐迦邇おほさかに 阿布夜袁登賣袁あふやをとめを 美知斗閇婆みちとへば 多陀邇波能良受ただにはのらず 當藝麻知袁能流たぢまじをのる
㊄(5-7)-(5-7)-7

    故到幸大坂 山口之時
    遇一女人 其女人白之
      「持兵人等 多塞茲山 自當岐麻道 廻應越幸」
    爾 天皇歌曰

大坂に  大坂で
遇ふや乙女を  出逢った乙女に
路問へば  路を尋ねたところ(アドバイスがあったので)
直には乗らず  真っ直ぐな路を進まず
当麻路を乗る  当麻路を通る(ことにした)

襲撃から逃れ、急いで大和に入りたいところだが、道の分岐点にさしかかり、2択を迫られる。
直であれば標高150m程度なのに、当麻路の方は300m級。しかも、わざわざ南側へ行くのでかなり遠い道のりになる。
女人に出会い、その言葉に従って遠回りを選ぶことになる。

ここでの天皇はみち/道/途に霊力を感じながら迂回路に入っていくのだろうから、<る>でなく<る>としてみた。替えたところでたいした意味はないが、言葉が余りに具体的過ぎで<お告げ>的な表現にはなんとなく抵抗感があるせいも。

<御真木入日子はや>の歌を詠んだだけの少女の場合に似ているが、歌の意味は自明ではなく、天皇が解釈した。
ここでは、兵が塞いでいるから当麻路へ迂回して峠を越えたらよいとの明瞭なアドバイス。
それを引き出したのは天皇の御質問であり、その答を踏まえて、天皇自ら迂回路に入ると決断した、ということだろう。その様な歌なら<る>の方が似合いそう。

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