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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.22] ■■■
[歌鑑賞80]笹葉に打つや霰の
【木梨之輕太子】夷振之上歌同母兄妹婚実現の喜び
佐佐波爾ささはに 宇都夜阿良禮能うつやあられの 多志陀志爾たしだしに 韋泥弖牟能知波ゐねてむのちは 比登波加由登母ひとはかゆとも
宇流波斯登 うるはしと 佐泥斯佐泥弖婆さねしさねてば 加理許母能かりこもの 美陀禮婆美陀禮みたればみたれ 佐泥斯佐泥弖婆さねしさねてば
㊄+㊄(4-7)-(5-7)-7-(5-7)-(5-7)-7

    又歌曰
笹葉に  笹葉に
打つや霰の  霰が(大きな音をたてて)打つちつける(様に)
たしだしに  確かに、(本当に)確かに
率寝てむ後は  一緒に寝てしまった以上
人は離ゆとも  (周りの)人が離れて行くなら(その流れにまかすだけ)

麗はしと  麗しき(人と)
さ寝しさ寝てば  こうして寝てしまったのだから
刈り薦の  薦を刈り取った(後の様に)
乱れば乱れ  (心のなかが)乱れるなら乱れるにまかすだけ
さ寝しさ寝てば  こうして寝てしまったのだから

和歌の拍だと、2首ということになるが、分かれていることを示唆する記述が無いし、題材が異なるどころか繋がっており、連続歌とした。

歌物語として、前歌が、禁忌破り止む無しとの決意シーンとすれば、これは、一緒になったことの喜びに溢れたシーン。しかし、それが屈折した感情を通して表現されているので直接的には伝わりにくい。
その原因は"人は〜とも"という箇所。禁忌であろうが、結婚するとの強い決意h透明に映るからだ。この句だけ取り出せば、それはその通りだが、全体をよくよく眺めるとそうは言い難い状況が見えてくる。・・・

周囲がガタガタ言って二人の仲がどうのこうので騒がしく、忍んだプラトニックラブで、滅多なことでは逢うことさえままならなかったというのが実情。
気分が晴れなかったが、こうして一線を越えてしまえば。どうでもよいことに思われる、と言っているようなものでは。
強い決意というよりは、相思相愛でそれ以外に道無しだから、そこにある感情としては、ついに夫婦になれてとても嬉しいという以上ではなかろう。

従って、皇嗣とされていながら禁忌を破ってしまった以上、ゴタゴタは避けられずどうしたものかと悩むことになろうと自覚している筈。それこそ、まさに"乱れば乱れ"の心境だろう。
決意と言うよりは致し方無しに近いのではあるまいか。

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