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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.28] ■■■
[歌鑑賞86]大王を島に葬らば
【木梨之輕太子】夷振之片下愛する同母妹の貞節を願う
意富岐美袁をふきみを 斯麻爾波夫良婆しまにはふらば 布那阿麻理ふなあまり 伊賀幣理許牟叙いかへりこむそ 和賀多多彌由米わかたたやゆめ 許登袁許曾ことをこそ 多多美登伊波米たたみといはめ 和賀都麻波由米わかつまはゆめ
㊇(5-7)-(5-7)-7-(5-7)-7

    又歌曰
大王を  大君(軽皇子)を
島に葬らば  (伊予の)島に放逐したら
船余り  空いた船があれば(乗って)
い帰り来むぞ  帰ってこようぞ
我が畳ゆめ  だから 吾の畳は清らかにしておくこと
殊をこそ  特別だから
畳と言はめ  畳と言っているので
我が妻はゆめ  吾の妻も清らかにあれということ

自分は1人称として描くのが普通だが、この歌では客観的な視点から、3人称としており、しかも皇継であるとの自負から。"大王"としているし、現代ではヤクザ用語と化している"しま"というテリトリー用語を用いている上に、"はふる"という配流を意味しない用語が使われている。("葬る"は遺骸を"放る"ということ。)
禁忌破りというのは名目で、皇位簒奪に一時敗れただけだから、心配するなと伝えていることになろう。
ところが、ここで突然に主観に転換し、決意表明に映る。
その決意のほどは、"い帰り来むぞ"という強烈な言葉に集約されていると言ってもよいだろう。しかし、その根拠があるとは思えないから、意気軒高であることを伝えようと工夫しただけ。

最後迄、その姿勢は貫ぬかれている。
二人が過ごせた場所に戻るから、二人の聖地としてしっかりと保っておくようにともとれる表現だからだ。

しかし、それは元気付けるための表面的強気ともいえよう。禁忌破りの謹慎が解ければ、皇女を娶ろうという動きが発生することは間違いなく、いかにも後ろ盾がいないことを危惧していそうと感じさせる句でもあるからだ。現実を直視してしまえば弱気にならざるを得ない訳で。

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