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■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.12] ■■■
[歌鑑賞101]倭の此の高市に
【大后】三重の采女に仕切り直しを勧める
夜麻登能やまとの 許能多氣知爾このたけちに 古陀加流こだかる 伊知能都加佐いちのつかさ 爾比那閇夜爾にひなへやに 淤斐陀弖流をひだてる 波毘呂はひろ 由都麻都婆岐ゆつまつばき 曾賀波能そがはの 比呂理伊麻志ひろりいまし 曾能波那能そのはなの 弖理伊麻須てりいます 多加比加流たかひかる 比能美古爾ひのみこに 登余美岐とよみき 多弖麻都良勢たてまつらせ 許登能ことの 加多理碁登母かたりごとも 許袁婆こをば
⑲(4-6)-(4-6)-(6-5)-(3-6)-(4-6)-(5-5)-(5-5)-(4-6)-3-6-3

    爾 大后歌 其歌曰
倭の  大和国の
此の高市に  この高市で
小高る  高台にある
市の司  市の司が(酒を醸している)
新嘗屋に  新嘗祭の社屋には
覆ひ樹てる  覆うように生えている
葉広  広葉の
斎つ真椿  清らかな真椿の木
其が葉の  その葉の様に
広り座し  広大な雰囲気で席につかれ
其の花の  その花の様に
照り座す  燦々とした雰囲気で席につかれ
高光る  輝かしく光を放つ
日の皇子に  日の皇子に
豐御酒  御酒を
奉らせ  差し上げなさい

事の語り事も  (伝える)語り事も
此をば  この様な(次第)

婇の前歌は⑫天皇代に樹立した吾妻と鄙の統治を、新嘗屋の聖木が広がっていった様子に例えた宮廷寿ぎ歌然としたものであり、天皇はそれを公式なものにする意向があったからこそ、無礼ということで斬首を免れたと見れば、祭祀次第を司っている皇后としてはその判断を高く評価することになろう。

従って婇の歌を引きながらの作歌となる。

と言っても、内容は"日の皇子に 豐御酒 奉らせ"以上でも以下でもなく、祭祀の格調を高めるものになっているとは言い難いが、祭祀全てを鑑賞する皇后の歌にこの句あってこそ、初めて正式に祭祀歌になる。

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