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■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.19] ■■■
[歌鑑賞108]大王の心を宥み
【志毘臣】@歌垣経緯あからさまな敵対意識
意富岐美能おほきみの 許許呂袁由良美こころをゆらみ 淤美能古能おみのこの 夜幣能斯婆加岐やへのしばかき 伊理多多受阿理いりたたずあり
㊄(5-7)-(5-7)-7

    爾 志毘臣
    亦 歌曰

大王の  大君の
心を宥み  お心が緩んでおられるので
臣の子の  臣下も
八重の柴垣  (宮の周りに)幾重にも作られた柴垣に
入り立たず有り  中に入らない (立礼もしない)状況

随分と思い切ったことを言うものである。臣下は、天皇の元からすでに離れてしまっていると豪語しているからだ。
中華帝国天子とは違って、臣下の推挙なしでは即位できないのが倭国の天皇。天皇の実権は多分にご都合主義的に制限されるから、珍しいことではなかろうが、それを臆面もなく歌で知らしめるのだから、両者の関係は極めて悪かったのだろう。

しかし、天皇に寄り付かない状況とは、現実だったようである。一応、顔を立てて暗いうちの朝礼には参加するものの、その後は志毘邸に参集する習慣が生まれていたらしいから。
  凡朝廷人等者 旦參赴於朝廷 晝集於志毘門

【付記】一般には、臣の子"の"八重の柴垣なので、これは宮ではないとされるようだが、婚姻以外に、天皇が臣下の邸宅に行く理由が思いつかない。

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