→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.24] ■■■ [歌鑑賞113]置目もや淡海の置目 ㊄(5-7)-(5-7)-8 於是 置目老媼 白 「僕甚耆老 欲退本國」 故 隨白退時 天皇見送 歌曰 置目もや 置目(御婆さん)よ 淡海の置目 近江が(故郷の)置目よ 明日よりは 明日からは(山姥となって) 御山隠りて 山に隠れてしまうのか 見えずかもあらむ (そうなれば ここからは)見えなくなってしまうのだね この歌が最後となるが、なんと総数は100首を越える。数十もあれば、それは<歌集>と呼んでもおかしくないというに。 しかも、上巻主体なら納得もできるが、ソコは1桁に過ぎない。過半は歴史的にかなり辿れる時代の下巻であり、奇異な編集方針であることは間違いない。 序文からすれば、口誦「帝紀」の文字化の書であるにもかかわらず、明らかに歌集然としているからだ。しかもその歌人を眺めると、天皇・皇后中心とは言い難い上に、歴史上に名前が残るとはとうてい思えない、ほぼ無名な女性が重視されている。 この歌など、御製ではあるものの、一体どういう位置付けなのだろうか。・・・「古事記」を歴史書として読む人の気分が全く理解できない。それでなくても、歌の主題が恋愛だらけだし、妻問婚時代の風習が色濃いし。 そんな歌を、はたして「帝紀」が収集していたのだろうか、と考えさせられる。 そう思う人は、序文は後世の創作と考えるのかも知れぬ。 言うまでもないが、「古事記」を、倭の"独自仕様の"叙事詩として読むなら、違和感を覚えることはほぼなかろう。神は人と近しく、極めて情熱的な恋愛を第一義に置いており、そこに論理など不要だからだ。 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |